2月の永寿会 法話とおつとめ 永寿会 兄弟抄

法話とおつとめ

永寿院では毎月第2日曜日午後1時から「永寿会」を開催しています。

はじめに本堂で法話とおつとめをします。
住職の法話は「日蓮聖人聖語カレンダー」から、その月の聖語解説と御遺文を拝読します。



2月10日の永寿会では、日蓮聖人御遺文『兄弟抄』(きょうだいしょう)から

    「一生が間 賢なりし人も 一言に身を ほろぼすにや」

日蓮聖人に帰依していた池上宗仲・宗長への手紙の一節です。


一生涯、賢明に生きてきた人でも、ただ一言が仇となって身を亡ぼし、永年の功も台無しになるということです。
最後のわずかな油断が失敗につながる。言葉が伝わるのは何よりも早い。
だからこそ、誠意のある言葉、心を込めたひと言、慈しみを込めた言葉を大事に発し、駄言・放言の類は慎むべしと諭されたお言葉です

池上兄弟は父と信仰面で争い、兄の宗仲は日蓮聖人への帰依を貫き父親から勘当されていました。
兄弟が力を合わせて信仰を貫き、事にのぞむようにと、中国の故事から「伯夷・叔斉」(はくい・しゅくせい)の物語を引いています。


少々長くなりますが、その『兄弟抄』一節の現代語訳を引用します。

  昔、中国の殷の時代、孤竹国の王に伯夷と叔斉という二人の王子があった。
  父の王は弟の叔斉に王位を譲られたが、父の死後、叔斉は即位しようとしない。
  伯夷は弟にご即位なされと言うと、叔斉は兄上こそご即位下されと言う。
  伯夷がそれでは親の遺言に背くことになるではないかと言うと、
  叔斉は親の遺言はもっともであるが、
  どうして兄を差し置いて自分が即位できようかと辞退する。
  こうして互いに譲り合った末、ついに二人ともに父母の国を捨てて他国へと行ってしまった。

  国を去って周の文王に仕えたところ、文王は殷の紂王に殺害され、
  その子の武王は父の死後百日と経たないうちに戦を起こして殷の紂王を攻撃した。
  そのとき伯夷・叔斉は武王の馬の口にとりつき、
  親の死後三年を経ずして戦を起こすのは不孝ではないかと諫めた。
  武王はそれを聞いて大いに怒り、伯夷・叔斉を殺そうとしたのであるが、
  太公望がこれを制したので事なきを得た。

  そして伯夷・叔斉の二人は武王のもとを去って首陽山に隠れ、蕨を採って命を応いでいた。
  そこへ王麻子という者と道で行き会い、事の次第を話したところ、
  王麻子は、そうするとその蕨も周の武王のものではないかと責めたので、
  二人はそのときから蕨を食べることもやめてしまった。

  しかしながら天は賢人を見捨てないのが習いであるから、
  白鹿に身を現じてその乳で二人を養った。
  ところがあるとき叔斉が
  この白鹿は乳がこんなに美味いから肉もさぞかし美味いだろうと言った。
  伯夷はそれを制止したけれども、天はそれを聞き、
  以来二度と白鹿は来なくなって二人は餓死してしまった。

  このように一生のあいだ賢人として暮らした人でさえ、
  ただ一言でその身を亡ぼすこともある。
  貴殿等の御心の内はいかがなものであろうか。
  気がかりでならないのである。


『論語』や『史記』等にある話で、日蓮聖人の見識の深さがしのばれます。
兄弟抄』には他にも、「仁徳天皇と宇治王子の物語」「インドにおける隠士の物語」など、日蓮聖人の文化教養の一端が垣間見られる記述があります。
ぜひ全文をお読みいただくとをお勧めします。

茶話会

1月の新年会で、「若い人や子供たちがお寺に集まれる行事を」という話を受けて、4月の花まつりに何かしようと盛り上がりました。

本門寺では「五重塔まつり」や桜広場でのイベントがあり、『いのちをありがとう』キャンペーンのチューリップも飾って、永寿院境内の枝垂桜の下でお花見餅つき大会というアイデアが出ています。

初めは欲張らずに楽しく集まれればと考えています。
4月7日(日)の午後を予定しています。

永寿会について

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