お寺とのつきあい方 菩提寺 行きつけ

菩提寺

あるアンケート調査の「あなたは、特定のお寺の檀家ですか?」という設問に対し「檀家である」との回答は約三割。
思いのほか少ないことに驚きました。

檀家としておつきあいをしているお寺のことを「菩提寺」と言います。
「菩提」には「煩悩を断ち切って悟りの境地に達する」という意味と、「死後の冥福」という二つの意味があります。

昨今、「菩提寺」は「死後の冥福を祈る場所」から転じて「お墓の管理者」という意味で使われ、お寺とのつきあいにはお金かかると思われがちな気がします。
しかし一僧侶としては、菩提寺は「悟りの境地に至るために修行する場所」つまり「心のよりどころ」であってほしいと思っています。

心のお掃除

ストレスの多い暮らしの中で、悩み・怒り・悲しみなど、心のホコリをすぐにためこんでしまうのが私たちです。
そんなとき、ふと足を踏み入れた街中のお寺の境内で心が和んだり、観光で訪れたお寺で聞いた僧侶の法話に感動したりすることはありませんか。
仏教の本を読んで、心を入れ替えて生きていこうと決意した方もあるのではないでしょうか。

しかし、そのような感動や決意が長続きしないのも私たち凡夫です。
部屋の掃除と同じで、日々たまっていくホコリを掃うためには定期的な心のお掃除が必要です。
仏壇の前でおつとめをしたり、写経をしたりすることが習慣になればよいのですが、三日坊主という言葉の通り、長く続けていくことは大変です。

そのような方には、心のお掃除=仏道修行の場としてお寺を活用することをお勧めします。
誰でも参加できる写経会や法話会を開催しているお寺もあれば、ヨガ・落語・音楽・映画などのさまざまなイベントを開催しているお寺もあります。
ぜひご自身の感覚に合うお寺を探してみてください。
かくいう私も毎月の池上本門寺の唱題行に参加して心のお掃除をしています。

掛かりつけの寺と行きつけの寺

「掛かりつけ」には、カルテが備えられて主治医がいる医院のように、相手によって管理されているという感覚があります。
それに対して「行きつけ」には、料理の味やサービスが気に入って、自らの意思で店に通うというような感覚があります。
 
お寺の場合も、お墓や過去帳がある菩提寺は「掛かりつけの寺」、心のお掃除をするために行事やイベントに足を運ぶのは「行きつけの寺」と分けて考えるのもよいかと思います。
墓地管理者としての菩提寺の場合は、どうしても管理する側とされる側の壁のようなものを感じたり、親戚や地域の人もお参りに来ることがあるので、プライベートな悩みは相談しにくいかもしれません。
住職としては、掛かりつけの寺が行きつけの寺になるようにと、門を開いてお待ちしているつもりですが、行き届かないところがあるでしょう。

選ぶことができない掛かりつけの菩提寺とは別に、行きつけの寺を持つことで人生に彩が添えられれば何よりのことだと思います。
エンディングノートにも掛かりつけの寺と行きつけの寺を記しておいてはいかがでしょうか。

まんだらエンディングノート

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