寺ネット・サンガ「坊コン」「こんな供養は○○だ!」 吉田健一さんのプチ法話「宗教・無宗教」 供養 宗教

吉田健一さんのプチ法話「宗教・無宗教」

2015年3月3日(火)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」が開催されました。
今回のテーマは「宗教・無宗教
神奈川県平塚市の浄信寺(浄土宗)のご住職、吉田健一さんによるプチ法話、供養コンシェルジュの佐藤清美さんのお話です。


今回は「宗教・無宗教」というテーマでお話頂きました。大学を卒業してすぐに葬儀社に就職した経験を持つ吉田健一さんならではのお話もあり、楽しい語り口に笑いも飛び出す和やかな雰囲気の法話となりました。

《浄信寺住職(浄土宗) 吉田健一さんによるプチ法話のあらまし》

日本人の多くはお正月には初詣に行き、お彼岸やお盆にはご先祖様が帰ってきて、クリスマスもしますが、それらは西洋の「宗教」を持つ人々にとっては理解しがたい事です。でもそういう日本独特の信仰形態は「宗教」という言葉では括りきれません。私はそれをポジティブに「非宗教」「超宗教」ととらえています。という吉田さん。

ご遺体の前で自然に手を合わせる行為にはどのような意味があるのかというお話が続きます。

供養とはなんでしょうか?岩波仏教辞典には『尊厳をもって、ねんごろにもてなすこと』と書かれています。手を合わせ祈る行為は、目の前にいる『その人』の後ろにある人生や『その人』の死を悼む家族などを想うことで、死者の尊厳を恢復する作業だという風に思うのです。東日本大震災や御嶽山噴火などで亡くなったご遺体へ自然と手を合わせる救助の方々の姿がありました。自然界の前で人は儚い存在であり、亡骸は時には損傷が激しかったり、泥まみれになってしまっていたりと「人としての尊厳」は著しく失われていることもあります。しかし、無慈悲にも木の葉のように散らされてしまった「人としての尊厳」を恢復させる事が出来るのもまた、人間なのです」

吉田さんが葬儀社で働いていた時に「ご遺体が怖くないのですか?」と言う質問をよくされたのだそうです。そんな話から死への恐怖についてお話が続きます。

「死体が怖いと感じるのは、意味を失ったものに対する漠然とした恐怖なのではないか。
一方で、ご遺体はそのご遺族にとっては『恐怖』ではなく『混乱』ではないか。
誰とも代替が出来ないかけがえのない存在である愛する人を亡くした悲しみは、心の半分を削がれてしまったような喪失感をもたらします。そのような人にとって『(社会的な基準)死んでいるけど(宗教的な基準)死んでいない』という状態を受け入れることはとても大切なことだ。これは一見矛盾だけれど同居可能であり、そこに宗教者が加わることの意味があるのではないか」と。

吉田さんはよく葬儀の場で「お葬式はお別れ会ではないのです。これからまた新しく故人様とのご縁を結び直していくのです」と話をするのだそうです。

「物語を共有する人がいなくなった悲しみを抱えながら生き続ける人に大切なのは、死者との関係性を新たに再構築していくことであり、そのための変換作業が『お葬式』なのだ。
また、葬送儀礼によっても割り切れない後悔を背負ってしまう人もいて、死別後の後悔が今の自分を苦しめることもあります。
お墓へお参りに行ったり、仏前で手を合わせることで、少しでも気持ちが和らぐのであれば、そういった気持ちを表現する場があることや、表現する方法があることは大切だと思うのです」

最後に、「そんな此岸と彼岸を繋ぐツールとしての供養を、『尊厳をもって、ねんごろにもてなすこと』という思いを込めて行ってゆくことで、故人がいつでも生者を見守る、まさに『仏』のような存在になっていく。そして、それは未来の私の姿でもあるのです。つまり、供養をする姿を通して、私もこの世を旅立った後は彼らにとって見守り続ける存在となるのだということを伝えることにもなります。それが日本人の死生観なのではないでしょうか」と結びました。

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「宗教・無宗教」について

供養コンシェルジュ 佐藤さんのお話》

実際の相談事例から、今日のテーマである「宗教・無宗教」についておはなし頂きました。
供養を考えるうえで「宗教」は欠かせない問題だとおっしゃる佐藤さん。葬儀の8割が仏式とのことですが、特定の宗教を信仰している方とそうでない方の相談は違うのだそうです。

宗教を持っている方の相談
【事例1】家の中で宗派が違うという相談。(実際には告別式と葬儀を別の宗派で行なった方や、告別式を二部制にしてそれぞれ違う宗派で行なった方がいた)
【事例2】宗派を間違った。違う宗派で葬儀をしてしまったがどうしたらいいか。
【事例3】ご先祖様のお位牌とは宗派の違うお位牌を作ってしまった。

○積極的な無宗教と、積極的な無宗教
信仰を持たない方には積極的無宗教と消極的無宗教とがある。
積極的とは「神も仏も絶対に信じない!」と思っている方。自分の意思がしっかりしている方が多い。
消極的無宗教の方は特にこだわりがない方が多い。すべて葬儀社任せにしてしまいがちである。









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坊コン談義「宗教・無宗教」

休憩のあとは4グループに分かれてディスカッションです。各グループには必ずお坊さんが入ります。テーマは「宗教・無宗教」です。各グループの意見を、代表のお坊さんがまとめて発表しました。

・亡き人を想い続けることが供養ではいか。
・見ず知らずの人にも手を合わせ花を手向けるということを自然なこととしてやっているのは宗教を超えたものではないか。
・おじいちゃんおばあちゃんから供養について学ぶ機会がなかった若い世代の人達が、知ろうとしないまま「お金がかかるからいいや」と低いレベルで手ばなしてしまっているのは残念。
・身内やペットの死によって自然と手を合わせる気持ちが生まれた。
宗教的な縁がなかったりすると、一般的には位牌を買う必要などからお寺に行くよりも仏具やさんに行って相談するということになるのでは。
宗教的なことで、身近に近づける所があまりないのではないか。
・自分の家の宗教に悪い意味で振り回されてしまった経験から、宗教から解放されたいと思った。
・儀式の大切さを次世代に伝えたい。
・亡くなった親へ感謝をするために供養をするのは当然。
・亡くなった方へやりえなかったことの負い目を返すための供養
・「亡くなっても家族でしょ?」と言う話をしたらお墓詣りに来る人が増えた。
・宗派が多くて選べない人もいる。 

など有意義な意見交換ができました。
その後、お坊さんへの質疑応答タイムになりました。

Q. 結婚した相手の家の宗教と実家の宗教が違った。少子化もあり、ともすると一つの家で4つの宗教なんていうことにもなりうるが、それに関してお坊さんの意見を伺ってみたい。


A. ある程度の年齢が来たら、どの宗派で葬儀をしたいか話し合うことも大切。
A. 供養は生きている人のためのものではないか。今生きている人がやりたい宗派でやればいいのではないか。
A. 宗派というよりも、今の時代は「いいお坊さん」のところに行くべきで、そういう風になっていくと思う。
A. 2つの宗派で供養できるなんて有難いと思うと楽なのではないでしょうか。好きな宗派を選ぶより、好きなお坊さんのいるお寺で選ぶのがおすすめ。


一つの質問に対して様々な意見がお坊さん側から聞かれました。こういった点は寺ネット・サンガならではですね。宗派の悩みは意外に身近なものだと感じました。悩みを持って寺ネット・サンガの坊コンにいらした方も、ざっくばらんなお坊さん達と話をすることで心が軽くなったのではないでしょうか。

次回の坊コンは5月21日(木)の予定です。次回のテーマは「位牌・仏壇」です。




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