仏教的断捨離2~寺ネットサンガ「坊コン」 心の垢おとし~仏教的断捨離 断捨離 サンガ

心の垢おとし~仏教的断捨離

寺ネットサンガが主催する、色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2016年12月19日(月)に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。
宗派に関係なく仏教について語り合うことができる「坊コン」。
今回は「心の垢おとし 仏教的断捨離」の2回目です。“執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?”

法話は臨済宗 建長寺派 独園寺住職 藤尾聡允(ふじおそういん)さんです。
藤尾さんは元銀行マン。さらに13年もの海外勤務を経験するなど異色のお坊さんです。得意の英語を生かして、ご自身のお寺や鎌倉の建長寺では海外の方に英語で座禅指導をしていらっしゃいます。
ニコニコと優しい笑顔で登壇された藤尾さん。唐突に「わたしは断捨離は得意ではないのです」のカミングアウトで会場が笑顔に包まれました。

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「思考の断捨離」藤尾聡允さんのプチ法話

禅宗では「己事究明」を最初にします。私自身のことをしっかりと明らかにするのです。
私たちのこれまでの体験、それは人間関係だったりや教育、スポーツなどもそうですが、あらゆる経験すべてで「私」が成り立っています。
これは私の恩師から教えてもらったことなのですが、これまでの経験の積み重ねで自分が形成されます。それらはピラミッドの形で表すことができます。これを”人間ピラミッド”と呼びます。
生まれてから今日までのたくさんの経験が「私」であり、今の「私」はピラミッドの頂点です。心と体と技に加えて多くの経験が土台になっているのです。
そして、それらによって一人ひとりの雰囲気が作られています。
良いことばかりではない、嫌なことからもそれらは作られます。嫌な経験からでも人は多くのことを学ぶことができるのです。
自分を形成しているものは人だけではありません。動物や植物、物であったりもします。そういうありとあらゆるものから今の「私」が出来上がっているのです。

ある心の病を抱えている人が、フォーカシングでその原因を探っていったところ、一本の樹が原因だとわかりました。その樹はその人が子供の頃からある樹でした。
ところがある日突然、開発によって樹が切られてしまったのです。実は本人は気が付かなかったけれど、その人はその樹に癒されていたのですね。
この話を聞いて、意識していなくても自分にとってとても”大切なモノ”もあるのだと気が付きました。
私たちは何気なく断捨離をしていますが、もしかしたら大切なものを捨てているのかもしれません。そんな場合もあるのです。人間関係が上手くいっている人や特に問題がない人には、断捨離は必要なのでしょうか。私には必要のない概念のように思えます。

心の病に陥ってしまった人達とのお話をしていて感じるのは、多くの場合、ちょっとした仕事上の行き詰まりが原因だったりします。その時はその人にほんの少しスキルが不足していたり、情報が足りなかったりしているのです。
あともう少しだけでも、自分の能力を向上させる努力をしたり、情報を集めたり、人脈を広げたりするなどしていたら、心の病にならずに済んだかもしれないと思ってしまうことがあります。
それらを鑑みると断捨離のように外との関係を断つことより、むしろ人とつながったり、何かを身につけたりすることのほうが大切なことの様な気がするのです。

禅宗では平常心を大切にします。
常に心の中をクリアにして、外からどんなものが来ても臨機応変に対応できるようにするのです。それには座禅が有効です。座禅をすることで深い呼吸ができ、次第に心が落ち着きます。最近ではスポーツで精神を鍛練するのにも座禅がとりいれられているようです。

座禅をしたり「己事究明」をして、自分の心を鍛錬していくことで、いっぱいいっぱいにならないようにする。そういうことが断捨離の目的にも繋がっているのではないでしょうか。これが“思考の断捨離”じゃないかと思うのです。

「藤尾聡允 思考の断捨離 より」

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お坊さんとディスカッション&質問コーナー

今年も残り少なくなりました。そこで「年末年始の宗教行事といえば?」というテーマでグループディスカッションをしました。
グループに必ず一人はお坊さんが入ります。気軽に話し合えるグループディスカッションですが、話したくない場合はパスが出来るルールがあります。各グループごとにお坊さんが意見をまとめて発表しました。

・初詣やお焚き上げなど、年末年始に知らず知らずにやっていることが宗教行事だったりします。お寺で除夜の鐘をついたり、神社へ初詣に行ったりもします。

・初詣に毎年行くけれど、行く場所が決まっているわけではない。いろいろな神社に行ってはおみくじを引いたりお守りを買ってみたりする自分は節操がないのかなと感じてしまう。

・年の初めにお参りをしたりお墓参りをしないと「気が済まない」。その「気が済まない」思いというのは日本人の宗教心の一つではないか?

・歳神様をお迎えする行事として大掃除やすす払いもあると思う。

・七草がゆも宗教行事?
などなど。


江戸時代には敷地内に神社とお寺が共存していたものが、明治の神仏分離政策によって無理やり壁ができてしまったことで、さまざまな弊害も起きているようです。
お寺の鐘が神社の敷地にあったがために、鐘が打てなくなってしまったお寺の話を司会の田村さんがしてくださいました。

そもそも日本人は神様も拝むし仏様も大切に守ります。そういったことを意識せずにいる日本人に宗教心はないと言えるでしょうか。年末年始の宗教行事ひとつをとっても、しっかりと宗教心に根差して続けられているのです。そういうものから出来上がった日本人の道徳心や宗教観念をもっと大切にしていきたいと思いました。


質問コーナーでは、藤尾さんへこんな質問がありました。
Q. 最近特に増えている海外の方でお寺に座禅に来る方は、どんな理由で来るのでしょうか?

A. 海外から来る方の半分ほどは東洋の文化に憧れていたり、神秘的に感じてきているようです。またその中でもヨーロッパから来る方は医療関係者が多くいらっしゃいます。
ケミカルな医療や外科施術だけではなく、心理面からできるアプローチを座禅に求めていて、そういったものを医療に役立てようと考えているようです。
あとは、日本に滞在している外国の方で、人間関係に疲れてしまったり、病気になってしまった人です。自分を何とか立て直そうとしてメディテーションをするために座禅をしにいらっしゃっています。

Q. 最近聞いた話なのですが、インドではお正月がないそうです。お正月は日本だけ?

A. ニューイヤーデイズで1日にお祝いをするのは世界中で行われています。ですが、ヨーロッパでもアメリカでも2日からは仕事が始まります。
日本ではお正月に休暇を取りますが、中国や台湾などチャイニーズ系では旧正月に休暇を取るなど、暦のうえでの違いはあるでしょう。
多くの国ではカウントダウンパーティーをしたりニューイヤーを祝ったりしますが、2日には普通に仕事をするなど、日本ほど大きな意味付けはしていないようです。
そういう点では日本はお正月を特別視しているかもしれません。

A. 日本のお正月は「リセット」するイメージかもしれませんね。「一年の計は元旦にあり」とか「三が日の間は怒っちゃいけない」など、日本人はお正月を大切な区切りと考えてると思います。
 

A. お正月は歳神様をお迎えする行事です。鏡餅を捧げて、門松を飾ってお迎えします。節分によく聞く「恵方」というのも、もともとはお正月に恵方参りをしたのが始まりのようです。



「坊コン」の後は、今回初めて参加したという方も交えて、今年最後の「坊念会」で大いに盛り上がりました。

次回の坊コンは1月25日(水)18時半~20時。法話は真言宗豊山派 密蔵院住職 名取芳彦(なとりほうげん)さんです。ベストセラーの『般若心経、心の「大そうじ」』のほか著書多数。ご本人から直接聞くことができる「大そうじ」をお楽しみに!





仏教的断捨離2~寺ネットサンガ「坊コン」

断捨離 サンガ

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