12月10日は金子日威聖人のご命日です。 永寿院のころ 八十世 二十八世

永寿院のころ

12月10日は、池上本門寺 第八十世貫首として、宗門内外に大きな足跡を残した金子日威聖人のご命日です。

明治39年(1906)12月18日、文京区本郷興善寺の金子厚山住職の長男として生まれ、厚山師の永寿院住職転任に伴い5歳で池上に移りました。

昭和10年、師父金子厚山上人退任の後を受け、永寿院第二十八世住職に就任。
戦中は陸軍大尉としてビルマ方面へ転戦。
その間、先代厚山上人が永寿院を守っていましたが、昭和21年3月に遷化されました。

日威聖人が戦地から帰還したのはその年の7月、師父の死の悲しみに暮れる間もなく、昭和32年に鎌倉の本山比企谷妙本寺に晋山するまでの11年間に、池上本門寺執事長・立正学園高等女学校教諭・東京都南部宗務所長・宗務院社会部長などの要職を歴任しました。
働き盛りの30歳から51歳を永寿院住職として過ごされ、以後本門寺の復興を成し遂げる基礎を築かれたのではないかと思います。

12月10日は金子日威聖人のご命日です。 永寿院のころ 八十世 二十八世

妙本寺のころ

昭和32年、本山比企谷(ひきがやつ)妙本寺76世貫首となり、池上から鎌倉へ。
鎌倉にあっても、立正大学学園理事、立正中学校・高等学校校長、日蓮宗宗務総長の要職に就き、日蓮宗と立正大学のために奔走されていました。

当時、日威聖人の次女である私の母と父も妙本寺に起居しており、昭和35年私は生まれました。
2枚目の写真は私を抱いている日威聖人です。


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池上本門寺へ

昭和40年59歳の若さで池上本門寺80世貫首となり、大堂・本殿・朗峰会館をはじめ本門寺復興に尽くされた一方で、日蓮宗管長・立正大学理事長など要職も務められました。
遷化から25年、その業績は今でも語り継がれています。

昭和62年12月10日遷化。
金子日威 文妙院日威聖人 世寿82歳。
御遺骨は池上本門寺の歴代墓所に埋葬されましたが、
万両塚墓域内に、師父厚山師 文章院日義聖人とともに名が刻まれた墓所に分骨されています。

ご命日の今日、資料をまとめながら、偉大な僧侶として日威聖人をしのび、
孫としてしみじみと、厳しく優しい祖父のお墓参りをさせていただきました。

金子日威

八十世 二十八世

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