遺品について考える 恩師の遺品整理 遺品 整理

恩師の遺品整理

昨年末に恩師が亡くなり、その偲ぶ会の準備のため、遺品整理のお手伝いをしてきました。
建築家で大学教授でもあった恩師の自宅兼事務所は、図面・模型・著書・論文・写真・書籍・愛用品等であふれていました。
その一つひとつが、人生の作品であり、遺族や教え子にとっては大切な遺品です。
その品々を整理しながら、恩師の教えや技術や生き方が、私の体に浸み込んでいるのだと感じます。
そして同時に、自分はいったい誰に何を遺せるのだろうかと考えました。

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生前整理

遺品整理する作業は遺族にとって辛い場合があります。
「もっとこうすればよかった」「知らないほうがよかった」など遺族の精神的な負担や、親族間のトラブルの原因になることもあるといわれます。
元気な時に、自分が亡きあとの遺された人に思いを馳せながら、身辺を片付ける「生前整理」も必要になるわけです。

私達の身の回りにはモノがあふれています。
ひところは「収納」に関する情報が雑誌やテレビでもてはやされていましたが、最近は「買わない習慣」や「捨てる技術」に関心が移っているそうです。
生前整理をしてモノを持たないことによって、執着や欲望から離れ、心軽やかになり、さらに家の中も片付き、快適に暮らすことができるでしょう。

人が亡くなっても、その人を知る人々の心の中に生き続けていると思います。
その記憶を呼び起こすために遺品があるといえるかもしれません。
しかし、その人を知る人たちも徐々に亡くなり、記憶も薄れ、やがて消えていきます。
また、手紙や日記、愛用品、家・建物、どんなものでも数世代を経ると形は無くなります。
記憶が消え、モノが無くなっても、文化や心は受け継がれていく。それが人が生きた証だと思います。
土の中から発掘される土器や埴輪など歴史的な遺物も、実はその時代を生きた人々の遺品だと思います。個人の名前は残らなくても、数千年前の人々の暮らしを物語る貴重な遺品です。
何気ない日常を、世代を超えて、何百年も何千年も伝えているもの、それも遺品だと思います。

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蔵の財・身の財・心の財

日蓮聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財よりも心の財第一なり」(崇峻天王御書)といわれました。
「蔵の財」=形あるものはいつか無くなります。
それよりも「身の財」体に浸み込んでいる技術や経験が大事です。
しかし一番大事な「心の財」とは、時を超え、世代を超え、現代にまで受け継がれている普遍的な教えです。

日蓮聖人が遺してくださった法華経とお題目こそ真の「心の財」であり、七百余年前の日蓮聖人のお手紙は、現存する偉大なる遺品といっても過言ではありません。

この時代に生を受けて、ありがたい妙法に出会ったことを後世に受け渡すために、墓石にお題目をきざむ。それが私の遺品なれば充分だと思いつつ、執着を捨てきれない、欲望まみれの自分が悩ましい限りです。

みなさんも何を遺すか、じっくりと考えてみてください。

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