終の棲家 人生の最期をどこで迎えるか? 晴耕雨読

人生の最期をどこで迎えるか?

ある調査によると「最後まで自宅で過ごしたい」と考えている人は六割以上に上るそうです。
終の棲家」とは、人生の最期まで自由に安心して暮らすことができる場所であり、心安らかに死ねる場所というイメージがあるかと思いますが、それを実現するには努力が必要です。
超高齢化時代を迎え、永い老後を生きていくためには病気や介護、パートナーとの死別、ひとり暮らしの不自由、経済的な問題、遺産や相続等々、たくさんの課題を想定して、終の棲家の準備をしなければなりません。

終の棲家の選び方

定年間近の時期が「終の棲家」を考え始めるころだといわれます。
自宅をリフォームしてバリアフリー化や子供との同居を考えたり、田舎への移住を考えたりする頃です。体は元気なので介護をあまり意識しない人が多いようです。
健康に不安を覚える年齢になると、介護や医療に関することが住まい選びの中心になります。
最期まで自宅で過ごしたいのなら在宅介護の条件を整えなければなりません。
元気なうちに高齢者住宅や介護付き老人ホームに住み替えるのも一つの選択です。

費用の問題で最期は行政のお世話になるしかないという方もあるでしょう。
しかしどのような選択をするにしても大事にしてほしいのは、最期まで自分らしく生きられるかという視点です。
人生を振り返り「これまでできなかった趣味に生きる」「やり残した仕事を力尽きるまでやりきる」「世事を忘れて晴耕雨読に生きる」等々人それぞれですが、残された時間の中で、どこでどう過ごすかは重要なことです。

日蓮聖人の終の棲家

日蓮聖人は晩年「三度、国をいさめ用いられない場合は山林にまじわる」との故事に習って、身延に入山されたとご遺文に記されています。
しかし日蓮聖人は身延山に隠居して余生を過ごそうとされたわけではありません。
度重なる法難を経験された日蓮聖人は、いつ命を失ったとしても正しい教えが後世に伝わるようにと、弟子を養成し、檀信徒を教化するべく、身延山に隠棲されたのです。
ご草庵では昼は法華経の論議をし、夜は夜通し法華経の読誦に明け暮れていました。
また、信者から供養の品をいただいた際には、法門を説いた丁寧な礼状をお書きになりました。
現存している大曼荼羅本尊のうちの約百幅、ご遺文の約三百篇が身延のご草庵で書かれたことからも、身延での生活が単なる隠棲ではないことが推し量られます。

棲神(せいしん)の地
日蓮聖人は、法華経の行者である自分が住む場所は、お釈迦さまが法華経を説かれた霊鷲山にまさるともおとらぬところであるとの宗教的境地で身延の地を受け止められました。
現在でも、身延山は日蓮聖人の魂が棲みたもう「棲神の地」と呼ばれています。
日蓮聖人の「終の棲家」は、身延山であり、霊鷲山であり、そこはまさに仏とともに生きる浄土そのものであったのです。

私たちも今いる場所が浄土として終の棲家となるよう、お題目の信仰に励み、精一杯生きていきたいものです。

まんだらエンディングノート

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