迷惑をかけたくない 「誰に」「どのような」 迷惑をかけたくないのか? 迷惑 お迎え

「誰に」「どのような」 迷惑をかけたくないのか?

誰しも人に迷惑をかけたくはないと思うものです。
人間はこの世に生を受けてからずっと、親や家族、友人や仕事上の付き合いの中で、たくさんの人々に大なり小なりの迷惑をかけながら生きているはずです。
いずれ要介護になったとき、亡くなって葬儀を出すとき、自分のことを自分でできなくなったときのことまで考えて「迷惑をかけたくない」と思う人も多いことでしょう。

医療や介護、葬儀の負担を担う次世代は、仕事に追われていても収入は上がらず出費が多く、金銭的・精神的・時間的な負担は大きなものとなるかもしれません。
子供たちに遺す財産もないと感じる高齢者は、なおさら肩身が狭く思うことでしょう。

早くお迎えに来てほしい

高齢者から「早くお迎えに来てほしい」といわれたら、多くの人は「そんなこと言わないで、長生きしてよ」と言い返すのではないでしょうか。
「早くお迎えが来てほしい」という言葉の裏には「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちが込められているように思います。

その気持ちを「そんなこと言わないで」と頭から否定しまうのではなく、生きている価値が見えなくなるほど寂しいのではないですかと寄り添って差し上げたいものです。
逆に自分の人生に十分満足している人は、やがて来る死を自然な形で受け止めて、心から「早くお迎えが来てほしい」と感じているのではないかとも思います。

迷惑を感謝に

いつも迷惑をかけているという意識が強くなると「すいません」とお詫びの言葉が先に出てしまいます。
そのとき心の中は自己嫌悪・自己否定の思いで埋め尽くされているのではないでしょうか。
そして自分だけが取り残されているような孤独にさいなまれているのだと想像します。

人間は迷惑をかけ合い、感謝しあって生きています。
自分の行為が他者に迷惑をかけているのだから「すいません」が先に出るのは仕方のないことですが、その前に相手がしてくれた行為には素直に「ありがとう」と感謝の気持ちを思い起こすようにしてはいかがでしょうか。
その順番を逆にするだけで、喜びを大きく感じられることになると思います。

迷惑をかけたくないこと」ではなく「迷惑をかけたこと」を書き出してみてください。
おそらく自分が誰かに迷惑をかけたことはたくさん思い出せるのではないかと思います。
反面、悪意をもとにした迷惑は別として、後で振り返ると日常生活の中で受けた迷惑は案外忘れているものです。

親の介護や葬儀が本当に迷惑なのかも考えてみてください。
もしかしたら、迷惑だと思っていた経験が人生の糧になっていたことに気づき、感謝したくなるかもしれません。

私たちが一番迷惑をかけているのは、いつもおそばで見守っていてくださる仏さまです。
しかし仏さまは決して迷惑だとはお考えではないはずです。
心より感謝して、手をあわせましょう。

まんだらエンディングノート

迷惑 お迎え

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