生きる意味と生きがい 生きる意味 生きがい

生きる意味

「自分は何故この世に生まれてきたのだろうか?」「何のために生きているのだろうか?」と誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

若い時には、やりがいのある仕事に就いて、安定した生活と温かい家族を手に入れることが生きる意味だと考え、中高年になると若いころに思い描いていた夢と目の前の現実の差に「これでよいのか」と生きる意味を見直す。
そして晩年は、残された時間をどう生きるか、これまでの経験をどう役立て、次世代に伝えるかを考える。というように年齢によって生きる意味は変わっていきます。

「生活に余裕が無くて食べるために働くだけで精いっぱいだ」「経済的には豊かでも、なぜか満たされないと空しさを感じている」など、生きる意味を考えられない方もいるでしょう。
生きる意味は人それぞれ年齢や環境によって変わってくるものです。
この世に人として命をいただい意味は一生をかけて探していくものかもしれません。


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生きがい

生きがいを感じるのはどんなときですか?」と尋ねられたらどう答えるでしょう。
「人の役に立っているとき」「趣味に没頭しているとき」「家族団欒のとき」「仕事が充実しているとき」など、これもまた人それぞれだと思います。

しかし挫折や悩みのどん底に居るときは生きがいなど見えないのではないでしょうか。
いかに生きるべきかという積極的な目標や、漠然と感じている生きる張り合いなど、さまざまな生きがいがあると思います。いずれにしても生きがいを持つことで人生がより豊かになると思います。


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自灯明 法灯明

生きる意味生きがいは人それぞれなので他者が評価できるものでもありません。
だからといって、自分勝手な考え方におちいり、都合の良い事だけを見ようとすると、何が真実か見えなくなってしまいます。自分が好きな事だけをしていても、周りの人も楽しければよいのですが、誰かに迷惑をかけることになっては困りものです。
しかもそれを本人が気づいていないとなると始末に負えません。

仏教では、真実が見えないことが苦しみの始まりだといわれます。
苦しみから離れるために、まずは落ち着いて自らを省みて足元を照らしてみましょう。
独りよがりでも、自分勝手でもない、こだわらない見方ができるでしょうか? 
また、他人の意見に振り回されて自分を見失ってはいないでしょうか?
それらの答えが出ないときには、仏さまの智慧に照らして、道に迷っていないかと確認します。
仏さまの教えは身の回りあらゆるところに満ちています。
そして慈悲の心で常に私たちを見守ってくださっています。それに気づかないのは、私たちの心が曇っているから。
曇りを晴らすために仏さまとのつながりを感じながら静かにお題目修行に励みましょう。

仏さまに導かれて「生きる意味」を見つめることが「生きがい」になれば何より充実した人生になりますね。
「まんだらエンディングノート」に、今のあなたの「生きる意味」と「生きがい」を書き込んでみてください。


まんだらエンディングノート

生きる意味 生きがい

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