心残り あの時、ああしていれば… 先送り

あの時、ああしていれば…

「あと一分早く家を出ていれば電車に乗り遅れなかった」
「別の選択をしていたらうまくっていたのに」
と、後になって悔やむことが多いのが私たちの日常です。

長い人生を考えれば、少々の失敗は何とか取り返せるものです。
しかし、私たちの命は永遠ではありません。明日があると思えば「何とかなる」と再挑戦も臨めますが、明日突然事故に遭い命を落とす可能性もゼロではありません。
明日もこの先も自分はずっと生きているものだと信じ、死を他人事のように考えて何の準備もせずにいると、いざというときに「あの時、ああしていれば」と、この世への未練を残すことになりかねません。

大事なことを「先送り」していると心残りが増えていく原因になり、後で振り返って「やらなければよかった」「言わなければよかった」と悔やみ、心残りとなることもあるでしょう。
よほど心していないと、心残りに一生追いかけられていくように思います。

また、遺された側も「あの時、ああしてあげていれば」「あと一言かけていれば」と、亡き方との思い出を振り返り悔やむこともあるでしょう。
心残りは逝く人、遺る人、双方の問題でもあるのです。

命はかぎりある事なり

日蓮聖人は『法華証明鈔』というご遺文のなかで、
「命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ」
と説かれています。

このご遺文は、重篤な病にかかった信者の南条氏に宛てた書状です。
日蓮聖人が御入滅される弘安五年の二月に書かれたもので、聖人御自身も病気療養中に自ら筆をとり、南条氏に信心堅固にして病を克服するようにと励まされたお手紙です。

命懸けて数々の法難を乗り越え、自らの死と直面されてきた日蓮聖人ならではの覚悟が「命はかぎりある事なり」の一文から伝わってきます。
ゆるがぬ信仰心をもって命に向き合い、「何をなすべきか」「いつやるか」を考え、限りある命の中で精いっぱい努める覚悟が大切だと教えられます。

つたなきものの習い

過去の失敗をいつまでも引きずるのも心残りです。
失敗を振り返り、同じことを繰り返さないようにと納得できれば、心残りにならないで済むのですが、それができないから悩むのです。

日蓮聖人は『開目抄』に、
「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするゝなるべし」
 (愚かな者の常として信心を守り通すと約束していたことを、本当に大切な時に忘却してしまうことである)
と説かれています。
肝心な時に正しい判断ができなくなるのが、我々つたなき者の習いです。

さらに『開目抄』のその先の部分では、
「我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返てみちびけかし」
(日蓮は法華経の信心をつらぬいて霊山浄土に参り、その霊山浄土からこの娑婆世界に帰って人々を導くのだ)
と説かれています。

現世を終えて、来世においても信心をつらぬき通す決意が表れた「心残り」も「先送り」もない強き者の生き方です。
我々つたなき者には、日蓮聖人の強さに近づくようにと信心を磨くことが、心残りをなくす近道でしょう。
お題目を唱え仏さまの世界に生かされていることを自覚し、今生を生き切った後に、霊山浄土で日蓮聖人にお目にかかりたいものです。
 
細川たかしの『心のこり』という歌には、「私バカよね~」とつたなき者であることを反省し、「私も旅に出るわ~」と旅立つ覚悟が歌われているように私には思えます。
「私バカよね」だけで終わることがないように日々の務めに励みましょう。

心残り

心残り 先送り

心残りあの時、ああしていれば…