第10回 仏教ひとまわりツアー「尼僧さんと一緒に浄土めぐり」 麻布十番にある光善寺で 浄土 坊コン

麻布十番にある光善寺で

本日ツアーのガイドをして下さったのは、光善寺の坊守(お寺の奥様)柳川眞諦(やながわしんたい)さん。
柳川さんは、お寺に嫁いでからご修行をお積みになり、現在は浄土真宗本願寺派の布教師として活躍していらっしゃいます。
ピンクの艶やかな法衣で登場された柳川さんに、私たちの目はくぎ付けになってしまいました。
法衣も浄土のお荘厳(お飾り)の一つなのだそうです。ご本尊の阿弥陀如来さまの周りは金や極彩色で彩られた蓮の花が描かれており、僧侶も含めたお堂全体で浄土を表しています。
浄土真宗は、阿弥陀如来さまの本願力(慈悲と智慧の働き)によって、人間の命が尽きたら、即浄土に往生という教えです。お釈迦さまの説かれた「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」という経典に基づく教えです。

浄土三部経
阿弥陀如来さまは別名無量寿如来(むりょうじゅにょらい)といい、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』は浄土真宗では一番重要な経典とされます。

『仏説観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』にはインドのマガタ国で起こった悲劇をもとに、お釈迦さまがお念仏によって往生する方法をお説きになっています。その中には、韋提希夫人(いだいけふじん)という王妃さまが登場してきます。自分の過去の過ちを忘れ、現在の自分の身の上の不幸ばかりを嘆く王妃さまの姿は、煩悩を抱えて悩み苦しむ人間の代表として描かれています。

『仏説阿弥陀経(あみだきょう)』は、今回私たちも一緒にお唱えいたしました。
阿弥陀経は智慧第一といわれた舎利弗(しゃりほつ)というお弟子さまに語りかける形で綴られています。問答形式ではなく、無問自説といって、お釈迦さまが自ら説かれる形式で進んでいきます。

第10回 仏教ひとまわりツアー「尼僧さんと一緒に浄土めぐり」 麻布十番にある光善寺で 浄土 坊コン

現在の私たちが学ぶこと

○人の命が輝く世界
『阿弥陀経』の中で、浄土の蓮池には車輪のような大きな蓮の花が咲き乱れ、青い蓮は青色に輝き、黄色の蓮は黄色に輝き、赤い蓮は赤く輝き、それぞれの色の光を放って協調し合っていると描かれています。
柳川さんは私たちの顔を眺めながら問います。「私たちは個性を隠して、透明になろうと努めていませんか?」と。

社会の中で生きる際に、個性は時に障壁になります。「出る杭は打たれる」という昔からのことわざがありますが、現代社会では特にそのような風潮が強くなっているようです。
いじめ問題、引きこもり、自殺…。
「私自身を出すのが怖い」と、他人の評価を気にして、本来の自分を見失ってしまうのです。

自分の色を持っているのに、透明になろうと頑張ってはいないでしょうか。
本来は自分らしい色で輝いて生きるのが、一番美しいことです。
それぞれの花がそれぞれの色を放ち、お互いの色が「協調し合っている」美しい浄土の世界は、命の尊厳や平等を表しています。

○見上げてみると、鳥たちが
私たちがお話を拝聴している壁の上部に、6種類の鳥たちが描かれています。それぞれの鳥に役割があり、例えばクジャクは毒虫を食べることから煩悩を食べるといわれ、オウムは言葉を真似ることから説法を人間の言葉で伝えたり、美しい声を持つ迦陵頻伽(かりょうびんが)は説法を美しい声で人間に聞かせる役割を持っています。

鳥の中でも、共命之鳥(ぐみょうしちょう)のお話が印象的でした。
共命之鳥は一つの体に二つの頭を持っています。共命之鳥は美しい姿と声とみんなに言われていましたが、ある時片一方の頭は考えます。
「みんなから一番美しいといわれているけれど、もう片方の頭がなくなれば、正真正銘自分が一番美しい鳥になれるだろう」。そうして、片一方の頭はもう片方の頭に毒の実を食べさせてしまいます。かわいそうに、片一方の頭は死んでしまいましたが、死んだ片一方頭が腐って、とうとう体も腐ってしまいます。最後には残った片一方の頭も死んでしまったのでした。

このことから「他を滅ぼすことは、自らを滅ぼすことになる」という教えを私たちは得ることができます。
私たちの命はかかわり合って生きているということを、共命之鳥が自らの姿を通して教えてくれたのです。

第10回 仏教ひとまわりツアー「尼僧さんと一緒に浄土めぐり」 麻布十番にある光善寺で 浄土 坊コン

ワークショップタイム

休憩時間には麻布十番の老舗「たぬき煎餅」さんの「大だぬき」をポリポリとおいしく頂きました。楽しい雑談を終え、次はワークショップタイムです。

○吉田健一住職「エンディングノート」

各自配られたプリントの「エンディングノート」に記入した後、坊コンでもおなじみの平塚市浄信寺の吉田健一住職よりお話を伺います。
「私の老年期(死と死後)」と書かれたプリントには、死を迎えたい場所やお葬式の形式、喪主を誰にするかなどの欄が並んでいます。(※書くことがつらいという方は、無理をして記入する必要はありません)
各自記入を終えると、書いてみた感想をグループに分かれて話し合います。
書けた方も何も書けなかった方もいたようで、中には「遺影をどうしようかな」「自宅で亡くなった場合って警察が来るのかしら」などと、あらためて疑問や気づきを得た方もいました。

吉田健一住職は、お葬式の形が昔とずいぶん変わったことを指摘します。
かつては自宅葬が主で、人が亡くなれば葬儀社さんが道具を運び、近所の方々がいっせいに集まって協力して執り行ったものでした。近所で特にえらくもないのに牛耳っているおじさんが指示を出したり、訃報を知らずに「何かあったのかしら」と様子を見に集まってくる人々。地域のネットワークがしっかりしていた頃、お葬式のノウハウも地域で引き継がれてきたのです。

かつては仮門といって、出棺の際に竹などで作った門をくぐらせ、仮門と一緒にお棺を燃やすことで、故人を「この世」から「あの世」へ送る風習があったそうです。御茶碗を割ったり、逆さ屏風など「非日常的」な所作をすることで、私たちは「死」という非日常的な出来事と、日常生活との「ひずみ」のような感覚をうまく調整して暮らしてきました。

現在のお葬式は、葬儀社さんにお願いしたら、遺族や喪主は何をしたら良いのかわからないことも多くなっています。お葬式をする意味も薄らいでいく中、葬儀社さんの「マニュアル」にただ従うだけで、「魂を送る儀式」という意味合いはほとんど忘れ去られている場合もあります。そんな中で「直葬」を選ぶ人も増えているといいます。

吉田健一住職は、お葬式とは昔から「思いの積み重ね」で行われてきた日本の文化であり、そこに「魂」の存在を感じてほしいとおっしゃっていました。

○吉田尚英住職『いのちをありがとう』キャンペーン

大田区永寿院の吉田尚英住職より、『いのちをありがとう』キャンペーンのお知らせがありました。
4月8日、お釈迦さまの誕生日「降誕会」に合わせて、ピンクのチューリップを大切な人に贈り合うというキャンペーンです。
キャンペーンの一環で、ミニ絵本が作成されたのですが、今回絵本の拡大版が光善寺に運び込まれ、寺ネット・サンガ事務局の佐藤清美さんの朗読により、絵本を楽しみました。
 
4月7日「花まつり」絵本の読み聞かせの様子→http://www.eijuin.jp/News/view/1/260


○最後に
柳川眞諦さんの素晴らしい語りに、私は「言霊」という言葉を思い出していました。お堂でお話を拝聴している間にも、キラキラ輝くお堂に描かれている極彩色の蓮の花が、金色の柱や壁に反射してあらゆるところから光を放っているようにも見えます。
言葉によって、お寺の雰囲気を感じることができたのは、新しい体験でした。お寺の装飾などは様々ですが、ぼんやり「きれいな装飾だな」と眺めているのと、その意味を知って眺めるのでは、また違った感じがします。

お互いの色を尊重し合い、かつ「協調し合う」という言葉が心に響きました。



・光善寺 東京都港区元麻布1-7-4(東京メトロ南北線 麻布十番駅から徒歩3分)

第10回 仏教めぐりツアー「尼僧さんと一緒に浄土めぐり」

浄土 坊コン

第10回 仏教ひとまわりツアー「尼僧さんと一緒に浄土めぐり」麻布十番にある光善寺で