6期 第10回池上市民大学体験記(7月21日号) 池上市民大学のはじまり 池上市民大学 信心

池上市民大学のはじまり

初めて「池上市民大学」に参加してきました!
テーブルにはお茶菓子が置かれており、お互いに挨拶し合っています。みなさん談話を楽しんでいる様子で、なごやかな雰囲気。
午後1時、池上市民大学開講。
初めお経とお題目をみんなで唱え、慣れない私は、読んで追いつくのがやっと。
つっかえつっかえ、何とかおつとめを終えると、野坂法行先生による講義が始まりました。

6期 第10回池上市民大学体験記(7月21日号) 池上市民大学のはじまり 池上市民大学 信心

野坂法行先生の講義「信心するってどういうことですか?」

テーマは信心について。
信心という言葉は宗教的で堅苦しいイメージでしたが、私は今回のお話で、言葉のイメージが変わりました。

例えば、私たちが横断歩道をわたる時。車は赤で止まってくれると私たちは信じることによって、安心して横断歩道を渡ることができるわけで、ここにも小さな信心が存在するそうです。
信心とは、目に見えない何かを信じることによって、現実の生活の中で心の安らぎを得ること。仏さまという偉大なる何ものか(サムシング・グレイト)を信じることによって、心の安定をはかること。
私たちは生まれる際に、自分の意思で人間の形になるわけではなく、それでも人間の姿をしてこの世に存在しています。その奇跡的な事柄は、もちろん、この世に生きている自身の力ではないということを、常に心に刻んでおくことが大切だそう。
与えられた生命を活かす「生活」していきましょう、と野坂法行先生は結ばれました。

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境内散策、永寿院→妙見堂→養厳寺→霊宝殿見学

さて、室内でノートなどを取ってすっかり「大学生」の気分になりましたが、ここからはお楽しみ。境内散策です! 普段、池上本門寺をガイドと一緒に境内を巡ることはないので、とても楽しみなのです。

・永寿院

本堂に安置されている、発掘調査で発見された資料を見学。
実際に触れても良いということで、弥生土器を手に持ってみました。意外に軽いもので、壊れてしまいそうな感じ。よく現代まで残っていたな、と驚きます。
その後、徳川家康とお万の方のお孫さんにあたる芳心院さまのお墓所「万両塚」を拝見。万両塚の横にある弥生住居跡について、永寿院の吉田尚英ご住職よりご説明がありました。なるほど、さきほどの弥生土器はここから出土したものなのですね!
万両塚、弥生住居跡のある永寿院は、本門寺から少し外れた場所にあるので、知らない人も多いのではないでしょうか。

・妙見堂

永寿院の向かいにある、少し古いお堂。
ここには「チャンギー殉難者慰霊塔」があります。第二次世界大戦後、シンガポールのチャンギーにおいて、多くの日本人が処刑されました。現地には粗末な札しかなく、この地にあらためて慰霊塔を安置することにしたそうです。
この碑は何だろうと思っていましたが、このような悲しい歴史の跡だったとは初めて知り、たいへん驚きました。

・養源寺

養源寺は松平家ゆかりの寺として知られ、かつて吉宗公が、この辺りによく鷹狩をしに来て休まれた場所。実は法華経を学ぶためであり、世間体から鷹狩を装っていたといいます。
養源寺では、お手製のお菓子とお茶をいただきました。ふすまに描かれている村上豊氏の絵に、みなさん興味を持たれた様子。すっかり絵画鑑賞会のような雰囲気になりました。
雨も上がって外へ出ると、きれいな蓮の花が咲いており、思わず写真撮影。雨あがりの蓮の花は格別きれいに見えます。

・霊宝殿

霊宝殿では、日蓮聖人の大曼荼羅本尊三幅について、学芸員の安藤昌就さんからの説明を拝聴。
今回、特別展示されている「水晶五輪塔」。それほど大きなものではないのですが、透き通った五輪塔はとてもきれいでした!
日蓮聖人直筆の手紙は、聖人の人柄を知ることができるので、ぜひ見ておいたほうがよいという言葉を思い出し、こちらもじっくりと拝見。直筆の書物が現代に、また未来へも伝わっていくことは、そのこと自体が奇跡的なこと。その奇跡には、これらの直筆で書かれた文書を保存しようとする、たくさんの人々の想いのつながりがあったからなのでしょう。

こうして午後4時頃、池上市民大学は修了しました。
今までふらふらと本門寺の境内を歩いていた私ですが、今では「池上市民大学で習った場所だ」と、案外記憶に残っていることにびっくりします。やはり実際の物や風景を見ながら説明を聞くと、自然と頭に入るものなのですね! これからも池上市民大学生として頑張っていきたいと思います。

第6期 第10回池上市民大学体験記について

池上市民大学 信心

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