7期 第9回 池上市民大学体験記 歴史の話① 堤方権現台古墳 ご先祖様

歴史の話①

6月15日に行なわれた第9回池上市民大学は、永寿院内にある復元された「弥生住居址」「堤方権現台古墳」を万両塚発掘調査団主任の松原典明先生のご案内で見学いたしました。

堤方権現台古墳は万両塚の南側に位置しています。現在の池上周辺呑川の海抜10メートルのラインは縄文時代の海岸線があったとされ、このライン上に、多摩川台古墳群など大小の古墳群や遺跡が現在も残っています。
南側から池上の台地を眺めた時、堤方権現台古墳は海からそびえ立つ丘の上に建立され、かなりの威圧感を持っていただろうと松原先生は語ります。



7期 第9回 池上市民大学体験記 歴史の話① 堤方権現台古墳 ご先祖様

歴史の話②

永寿院内へ移動しまして、スクリーンを見ながら、さらに詳細な松原先生の説明を伺いました。

縄文時代から弥生時代に入りますと、農耕の文化が普及し、人々は食物を蓄えるようになります。蓄えが出来ると人々は奪い合って争うようになりました。財をより多く蓄えた者は王となり、王は権力を象徴するために古墳を建立しました。
古墳といえば埴輪を思い浮かべます。『日本書紀』に野見宿禰(ノミノスクネ)という人物が王と一緒に臣下を殉葬するのは残酷だとして、代替品として埴輪を考案したと記されています。古墳の周囲には人や馬や家の形をした形象埴輪、やがて筒状の円筒埴輪が並べられるようになりました。

卑弥呼の存在や邪馬台国の場所は今も諸説あり、古墳時代は謎の多い時代です。
松原先生から、古墳時代にこの池上という地がどんな役割を果たしていたのか、興味深いお話を伺うことができました。お話の後、永寿院本堂内にて、弥生住居址から出土した弥生時代の土器や、古墳から発掘された馬具などを拝見しました。

7期 第9回 池上市民大学体験記 歴史の話① 堤方権現台古墳 ご先祖様

ご先祖様の話

池上市民大学担任の吉田尚英先生より、仏教のお話を伺います。現在の私たちがいる場所も、弥生住居址が残っているように、かつてはご先祖様が暮らしていた場所でした。

ご先祖様のお話
お釈迦さまのお弟子の目連尊者の母親は、「かわいい子どものため」と小さな罪を犯してしまったことから餓鬼道へ堕ちてしまいました。
目連尊者は神通力で餓鬼道に堕ちた母の姿を見て、救う方法をお釈迦さまにお尋ねします。
すると雨安居(うあんご=インドで雨期に僧侶がお堂にこもって修行をする時期)が明ける7月15日に僧侶に供養をするようにと指示され、目連尊者はその通りにして母親を救うことができました。

日蓮聖人のお書きになった『盂蘭盆御書』(うらぼんごしょ)には、「悪の中の大悪は我が身に其(その)苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代(しちだい)までもかかり候(そうら)いけるなり。善の中の大善も又々(またまた)かくのごとし」とあり、現在の私たちの善行がご先祖様、また未来の子どもたちへ届くと示されています。

七代先のご先祖様は、いったい何人になるのかというと、吉田先生が図で示してくださいました。
単純に親2人の間に子1人として計算すると、七代で128人。計算を繰り返しますと、三十世代前の約1000年前には約10億人のご先祖様がいたことになります。実際には重複があるので、数字の通りではありませんが、私たちにはたくさんのご先祖様がいることがわかります。

○私たちひとりひとりが細胞と考える
たくさんのご先祖様たちに囲まれて、現在の私たちの存在をを球体の中心と考えます。それぞれの球体が分子のように複雑に絡み合っていると仮定すると、小さな細胞のようにも見えます。時空を越えた大宇宙を構成しているのが、私たちの存在という一つ一つの小さな細胞であり、どこか一つでも細胞に不具合が生じると、全体のバランスが崩れてしまう。
だからお薬を処方するように法華経とお題目をお唱えします。私たちの心を調えきちんと生きていかなければなりません。

すると、吉田先生の持っている球体の中心が光り出しました!
球体の中心である私たちが光り輝くことで周囲を囲んでいるご先祖様も輝き、それぞれの輝いている球体がお互いに支え合う、そんな仏さまのお体、また私たちの社会を築いていきましょうと吉田先生はおっしゃいました。

○まとめ
こうして遺跡や古墳を拝見いたしますと、遠い祖先のことを思い、不思議な気分になります。お墓の中に納められている品々から、私たちは祖先の生活や思いを感じ取ることができます。そして遠いはずの祖先が、時間を超えて身近に感じられるような気もするのです。

7期 第9回 池上市民大学体験記

堤方権現台古墳 ご先祖様

7期 第9回 池上市民大学体験記歴史の話①