8期 第5回 池上市民大学体験記 『兄弟抄』について 池上 市民大学

『兄弟抄』について

2014年2月22日(土)、第5回池上市民大学が開講されました。

1時限目は池上市民大学クラス担任の吉田尚英先生のお話です。今回の講義では『兄弟抄』の書かれた時代背景と池上兄弟について学びました。

文永十二年(1275)、『兄弟抄』は池上家の二人の兄弟に日蓮聖人がお送りしたお手紙です。兄の名は池上宗仲(むねなか)、弟は池上宗長(むねなが)といいました。
康元元年(1256)に、二人の兄弟は鎌倉で辻説法をなさっていた日蓮聖人に入信したといわれています。

当時、末法思想が広まるなか、地震や火事などの天変地異が相次ぎ、蒙古の襲来など、人々の心は不安に包まれていました。
念仏さえ唱えれば極楽浄土へ行かれるという教えが人々の間に広がり始めた中で、「正しい教え」を訴え続けた日蓮聖人は念仏信者の権力者たちから攻撃されることになります。

念仏を信仰していた父に法華信仰を勧めた兄の宗仲は勘当され、弟の宗長に勘当された兄と共に力を合わせ、父を正しい教えに導くようにと、日蓮聖人がお書きになったお手紙が『兄弟抄』です。ご兄弟の苦難を労りながらも受難の意味を説き、正しい教えの大切さを説いています。

二人の兄弟が力を合わせ、日蓮聖人のお導きのもと、様々な困難に立ち向かい、最終的に父も改心なさったのでした。
その後も、池上兄弟と日蓮聖人の交流は続きます。

弘安五年(1282)、身延山を出立し、病気を癒すために常陸の湯へ向かわれた日蓮聖人は、道中に武蔵国池上の地を訪れます。同年十月十三日、辰の刻(午前八時頃)に、池上の地で日蓮聖人は六十一歳で御入滅されました。
以来、池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として現在まで人々に大切にされています。

1時限目の終わりに、吉田先生が持参なさった『兄弟抄』の複製を拝見させていただきました。


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池上幸保先生のお話

本日の池上市民大学にお越しくださったのは、池上家のご当主であり、日蓮宗全国檀信徒協議会会長の池上幸保先生です。少し緊張ぎみの池上市民大学生でしたが、「ご先祖様を遡ると、みなさん一緒なんですけれどね」と笑顔を交えながらの講義に、次第に緊張もほぐれて楽しく拝聴いたしました。

池上先生は、お寺や仏教が人々の生活から疎遠になっている現在の状況を憂い、その原因と向かうべき方向性について語ってくださいました。

○仏教や伝統を継承していくことの大切さ
昔は仏さまやご先祖さまなど、目に見えなくても私たちを見守っている存在を感じて、日々過ごしていました。その感覚は日頃、お仏壇に手を合わせるなど行動によって培われてきたものです。
最近ではお仏壇のない家も増え、目に見えない存在を感じるという感覚も薄れてきたようです。誰も見ていないからと、悪いことをする人も増えてきました。
「こんなことをする人はいないだろう」という『善』を前提に成り立っていた社会構造が崩れているのではないか、と池上先生は指摘します。
まずは親世代から仏教の大切さ、正しい教えについて考え、それを子どもたちへと伝えていく構造を作っていくことが大切だとお話しされました。

○お寺や仏教のこれから
また、現代社会の中でのお寺のあり方についても触れました。故郷を離れて生活する人が増えていることや、核家族化の進行など、私たちのライフスタイルは変化しています。
仏教を伝えるという点では、お寺側も様々な工夫を始めています。お坊さんが開くカフェやバーなど、まずは知らない人でも参加しやすい環境を作ったり、地域のコミュニティとしてお寺を開放し、場所を提供しているところもあります。私たちもニュースでたびたび耳にしますが、まだまだ実践しているお寺は少ないという印象があります。

その他、様々な仏教やお寺に関することを、現代社会のありかたから分析し、さまざまな提案をされました。

最後に、池上先生は「他人を否定せず、お互いに敬って、助け合っていく社会を目指していきましょう」と結びました。

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今月の霊宝殿

今月の霊宝殿は、学芸員の安藤昌就さんにご案内いただきました。

池上本門寺第九世「日純聖人寿像」は、色鮮やかな肖像画の掛け軸で、力強い意思を感じる御姿が描かれています。寿像とは、御生存中に絵師に描かせたもので、逆修の意味も込められているそうです。

その他、江戸後期の漢詩人、大窪詩佛(おおくぼしぶつ)の掛け軸が五点展示されており、圧巻でした。狂歌師、戯作者の大田南畝(おおたなんぽ)は歴史の教科書でも出てきますが、大田南畝の狂歌にこのような歌があるそうです。
「詩は詩仏  書は米庵に狂歌俺  芸者お勝に料理八百善」
いずれも一流の人や老舗の名前を歌っております。「狂歌俺」とは、狂歌を歌わせたら俺が一番、と大田南畝のひょうきんな一面があらわれていて面白いですね。漢詩を書かせたら、詩佛が一番と言われるほど、大窪詩佛は有名な漢詩人でした。

大窪詩佛は、小川泰堂居士の漢詩の師であり義父にあたります。小川泰堂居士は、日蓮聖人の教えに感銘を受けて『高祖遺文録』30巻の校訂と刊行などご尽力されました。
昨年12月25日、藤沢市からお墓を池上本門寺大堂右手に改葬し、小川泰堂居士顕彰墓域整備完成記念法要が営まれました。今年は小川泰堂居士生誕200年にあたります。

記念すべき年に、大窪詩佛の作品数十点が霊宝殿に委託されたそうです。これも何かのご縁かもしれませんね、と安藤さんは感動しながらおっしゃっておりました。

池上本門寺霊宝殿サイトはこちらから→http://honmonji.jp/05topic/06info/reihoden/reihoden.html


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