大晦日までの1週間

12月になりました。今年も残すところ1ヶ月弱。
毎度申しますようにお寺では行事をこなしていくと、いつの間にか1年が過ぎていきます。
そうとはわかっていても年々思うのは、12月を迎えてももうすぐお正月という実感がだんだんうすくなっているということです。

それもこれも、たぶんお釈迦さまがお悟りを得られた12月8日より、世間ではクリスマスがお正月の直前にとても盛り上がるせいではないかと勝手に思っているのですが。

私はクリスチャンではありませんので、どう考えても人前で「メリークリスマス!」などと叫ぶわけにはいかず、いい大人ですのでプレゼントを期待するわけでもなく、ケーキ無しのからっ茶をすすり、街を歩けばフライドチキンのお店や焼きとり屋さんに連なる行列を見て、ここをいかにうまく通り抜けるかなどと考えているので、毎年早く静かになってくれないかなあ、などと物思いにふけっているわけです。ちなみに私の住まいにはクリスマスツリーはありません。

しかしクリスマスの日はあと1週間でお正月という日でもあり、連日連夜にわたりクリスマス一色だった街の様子が、この日を境にお正月モードに一変します。駅でも「初詣」の二文字が印刷されたポスターがあちらこちらで見られるようになります。
また師走と言えば諸説あるものの、師(お坊さん)が走り回るくらい忙しいという意味らしいのですが、それではお坊さんが年中ヒマにしているようで腑に落ちないなあと思いながらも、日々の勤めも年内最終段階を迎えますので結局せわしない日を過ごすことになるわけです。

そんなことをぼんやり考えていると、日々充実しているとは言えないまでも実は楽しいことやうれしいことが多いからでしょうか、あるいは暮れの喧噪に慣れただけなのかもしれませんが、この時期は夜にみかんの皮をむきながら、大晦日に除夜の鐘が鳴り出すとまた新しい1年が始まるんだなというくらいの話になっているようです。

1年経って

とは言え1年1年区切りがあるというのは便利なもので、そんな私でも去年より今年、今年より来年をもっといい年にしていこうというくらいのことは自然に思いつくわけです。

しかしそんな気分すら暦(こよみ)に打ち砕かれることがあります。例えば去年の今ごろ、よそのお寺で頂いた『平成27年日蓮宗御詳暦』という暦を開いて八白土星である私の翌年(つまり今年)の運勢を見ると、

「本年は衰運です」。

しかもわざわざ太字で書いてあるのを見て、私はそっと閉じておきました。
だからと言っていちいちめげていても始まらないので、どのくらい不幸な年になるんだろう、その中をどんなふうに突き進んでやろうか、わくわく。と開き直っていたのを思い出します。

そんなこともあって、どんなことにも負けないよう自分を成長させていくしかないと思い、昨年12月の本欄では今年の努力目標として

「古今東西有名無名を問わずあらゆる格言のうち、たった一つでもお払い箱になる日は、いったいいつ来るのであろうか」

と、作家の故開高健(かいこう・たけし 1930年12月30日 - 1989年12月9日)さんが遺した言葉を紹介して、格言が1つでも不要と言えるくらいの人間的成長を目指そうじゃないかなどと言ってみたわけです。

それで1年経って何か変化があったのかと言えば、まったくないですね。
それもそのはず、私がこの言葉を知ってからもう30年くらい経っており、世相に当てはめるというより、私自身の振る舞いにあてはめて「そんな日はいったいいつ来るのであろうか」などとぼやきながら新年を迎えるのが恒例行事のようになっているからです。

開高さんの13回忌の年にこの言葉をしっかり考えてみたことがありました。結局、これも昨年一緒にご紹介した開高さんの言葉ですが、

「遠い道を ゆっくりと けれど休まずに 歩いていく人がある」

とは、法華経の自我偈のお言葉で言えば「まさに断じて永く尽きしむべし(当断令永尽) ~仏を疑う心を永く断ち切ってしまうべきである(信じて励み続けなさい)」ということで、仏道も同じこと。今まで積み重ねてきた多くのことが土台になっている以上、人間はそうそう簡単に変われないかもしれないが、及ばずながらも仏さまからいただいた智慧を生かし、たとえ1歩でも半歩でも着実に成長の糧にしていこうじゃないかと、以来本気でそう思っている一方でいつもの暮れの言い訳にもなっています。

仏事雑談 ~ぼやき納め 大晦日までの1週間 お正月 来年

今年のお礼をひとこと

そういう私ですが、本欄の読者諸氏をはじめ今年も色々な方々が心に掛けて下さいました。
私の駄文拙文の感想を聞かせて下さる方がいたり、母が毎月自分で描いた絵手紙に自作の俳句をのせて送ってくれるようになったり、いつも笑顔で接して下さる方が何人もいたり、この暮れも風邪を引いたと言えば甘酒を下さった方がいて、あたたまることができました。また仕事の手が足りないとまっ先に声をかけて下さる方がいたりしました。
いろいろな皆さまからたくさんのお心遣いをいただいて、おかげさまで1年を通じて特に困ったこともなくいい年になりました。
他にも減量に成功して気分まで軽くなり、去年は失敗した500円玉貯金でしたが今年はそれで仏教書を何冊か買い新しい学びや気づくことも多く、おかげさまでこのまま平気な顔をして来年を迎えられそうです。
本欄を提供して下さったご住職の吉田さん、お世話になったみなさま、ありがとうございました。

来年は1つでも多くひとさまのお役に立てたと思えるような成長の実感が持てますよう、さらに気を引き締めていこうと思います。
そして本日をもって本年のぼやき納めにしたいと思います。

来たる年をよい年にしていけるようご一緒に励んでまいりましょう。
何よりみなさまのご多幸をお祈り申し上げます。

来年の暦は年が明けてから読もう、いっそ暮れまで待とうか。


それから、
12月に開高健さんの言葉を思い出すのは、お誕生日もご命日も12月だからです。
そして今年の12月9日は、かの文豪の第27回忌にあたります。
遠い道ではありますが、来年こそは。
南無。

暮れに思ったことについて

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