心の余裕 積んであった雑誌 余裕 哲学

積んであった雑誌

関東は梅雨が明け、暑くなりました。
皆さまに暑中お見舞い申し上げます。

さて、最近、いろいろ仕事が多くてどうも心に余裕がありません。

そんなとき、読みもしない本が周りに積んであるというのもいいもので、ちょうどおあつらえ向きの雑誌が目にとまりました。
『PHP』平成26年6月号。特集は「心に余裕がある人 楽しめる人」。

別にこの雑誌を定期購読しているわけではなく、はたして自分が買ったかどうかすら覚えていません。ただそこにあったというだけのことです。
むしろその隣にあった『断捨離(だんしゃり)のすすめ』にしたがって不要なモノの始末から始めたほうが、心の余裕を持てるようになるのかもしれません。

しかしせっかくだからとページをめくっていると、富増章成(とます・あきなり)さんという著作家で予備校の先生をされている方の記事がありました。
タイトルは“最悪の中でも最高がある”。
富増さんは難解な哲学を、身近な例を用いて親しみやすく説明することに人気があるそうです。
記事に目をやると、早速ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉が出てきました。
「この世界は苦悩の世界である」、「この世界は…悪魔がつくったのではないかと思えるほど苦悩に満ちている」。
富増さんは長い人生の中の一時期には、そんな暗い思いにとらわれる時もあるでしょうと言います。

うん、たしかにそうかも。
お釈迦さまも「一切皆苦(いっさいかいく)」といって、そもそもこの世は苦悩に満ちあふれていると説かれます。そういう世の中だから、どう生きたら心に安心を持てるのかといろいろな教えを説いておられるわけです。
ただやっかいなのは、この苦悩の原因が多くの場合、私たちのこころの中にある身勝手さだということです。
お釈迦さまもお悟りを得る時、最後まで悟りを邪魔したのは悪魔、つまりご自身の中にあった煩悩だったと言います。

いずれにしてもみなさん、似たようなことをおっしゃいますね。

富増さんの記事を読み進めていくと、人生には自分でコントロールできない想定外の出来事が突然起こるもの。その対処についてどうすればいいのかの答えはないが「どういう態度でいるべきか」と自分に問うことはできると言います。
そして出来事に押しつぶされ、パニックになってしまっていては誰にもよいことはない。大切なことは、出来事に流されない自分を構築することと言葉を重ね、根拠はなくとも「かならずよいことが起こる」「これはよいことにつながる」と考える態度でいることをすすめています。
さらに富増さんはこう考えることによって、自分の外側に変化はなくても、内面ではパニックを避けることができ、「最悪の中の最高」を維持できると言います。

うん。たしかにそうかも。
かつてとある友人と初めて行った町で道に迷った時、私があることを言ったそうです。
当の本人は覚えていなかったんですが、ずいぶんたってから何度もその言葉に励まされたと聞かされました。
その言葉とは、
「ここから最短コースで行こう」
だったそうです。

なぜか寄り道だらけの暮らしになってしまう私は、それが原因で時々最悪の事態におちいることがあるわけですが、その友人にとっては行き詰まりを感じるたび、ここから最短コースと思い出していたらしいです。
面と向かってそう言われ、ついつい「キミ、だいじょうぶ?」と言ってしまったんですが、不安を安心の方向に向けることには多少役立っているそうです。

とは言え、おそらく私の“寄り道癖”が道に迷わせてしまったのではないかと気づいたのは、それから数日たってからのこと。やはり寄り道をしても目的地は見失わないようにしたほうがいいですね。次に会った時には反省の弁を述べておこうと思います。

今思えば「全ての道はローマに通じる」ということわざをちょっと応用しただけのような気もするのですが、仏教では私たちの信じる思いは仏さまに通じるのであって、仏さまの救おうという思いも私たちの心とつながっていると説きます。ですから迷いの中でも進むべき方向がひらめく、障害が取り除かれるなどの救いが生まれるということです。

こうなると「最悪の中の最高」をきっかけに、「最悪から最高に」となっていきそうです。


心の余裕のつくりかた

もう1ページめくると、富増さんは過去に起こったことへの後悔や怒りにとらわれ立ち止まってしまうことは、本来先に進んでいるはずの今という時間を無駄にしていると指摘します。

そしてこういう苦悩に対する知恵をさずかるため、二人の哲学者を登場させます。
一人は先ほど登場したショーペンハウアー、もう一人は同じくドイツのニーチェです。

ショーペンハウアーはこういう苦悩は他者への「同情」によってやわらげることができると言い、ニーチェは同情はせず、苦しみを乗り越えていく人を「賞賛」することで苦悩に対抗できるという言葉を紹介しています。
ちなみにニーチェによれば、苦しみを乗り越えていくことに生きる意味があるのであって、同情はかえって自他共に生きるための力強さを弱めてしまうのだそうです。

ここで言う同情とは共に悲しみに寄り添うという意味で、賞賛とは苦に打ち勝つことを共に喜ぶという意味ではないかと思います。

富増さんはどちらに賛同するかは人それぞれと言いますが、私はどちらかに決めてしまうのもどうかと思います。
それは安心を得ることを目的とするならば、どちらも有効だと思うからです。
つらいことが重大であればあるほど、他人はとばっちりを受けないように避けたがるものです。
しかしそんな時こそ寄り添ってくれるという姿勢がどれほどありがたいことか。
また歯を食いしばってがんばっていることを一緒に応援して、その成果を自分のことのように喜んでくれる人がいるというのがどれほどうれしいことか。

あらゆるお経で、仏さまや菩薩さま方が救いに見返りを求めることなど記されていません。
それは慈悲の心を発揮するということであって、私たちを仏の子として、母のように寄り添って安心させ、父のように安心へと導くということです。
仏さまが慈悲の心で教えを説くのは、このようにいたらない私たちを励まし仏さまと同じ悟りに導くためです。そして仏さまのような慈悲が実践できるように、私たちに常々暮らしの中で仏さまにならって慈悲を実践しなさいということです。

先ほどのショーペンハウアーとニーチェの他者への関わりかたを足すと、仏さまの教えにかなうということでしょうか。

そんなことを考えていると、仏教徒は信心によって不安を取り除き、その分、心に余裕ができるのでイキイキと楽しんで生きていけるのではないかという気がします。
これで雑誌の特集名に行き着きました。 
少し気が楽になりました。

8月はお坊さんにとっては忙しい季節ですが、夏休みにぽっかり時間の空くことがあれば、読んだことすら忘れてしまっていた本でも読み返してみてはいかがでしょう。何かいい発見があるかもしれません。

心の余裕について

余裕 哲学

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