「当に知るべし 是の処は即ち是れ道場なり」 一心にみ仏を思い、身口意に唱題する 即ちそこが法華経の道場 即ち是れ道場 菩提樹

一心にみ仏を思い、身口意に唱題する 即ちそこが法華経の道場

「当に知るべし 是の処は即ち是れ道場なり」
『妙法蓮華経如来神力品第二十一』の一節です。


仏さまはインドのブダガヤの地、菩提樹の下でお覚りを開かれ、命尽きるまで膨大な教えを説かれました。
そして仏さまは方便をもって悩める人々を導き入れ、本当に説き示したかったお心の内を晩年の八か年であらわされたのです。
これが法華経であります。

この法華経を信じ、また説かれる処は仏さまがお覚りを開かれた場所、つまり法華経の道場であることをここでお示しになられております。
菩提樹の下だけが道場ではなく、いつでもこの法華経の中には仏さまのお心が籠っているのだから、その仏さまのお説きになられたみ教えを真に学んで真に信じようと努める場所はどこであろうともそこが即ち道場であるのです。

しかし、この一文の前段として「一心に受持し読誦し解説し書写して、説の如く修行をすべし」と説かれているように、物事を軽く考えていい加減な気持ちで取り組んで「このところが道場である」と言うのでは仏意に叶うはずがありません。
     
私たちが末法という時代に生を受け、法華経に出会えた事の何たるかを日蓮聖人は六十一年間のご生涯をもって、お伝え下さいました。   
この一生を無駄に過ごすことなく、一心に法華経を信じ、身・口・意の三業にお題目を唱えた時、はじめてその場所が法華経の道場として、仏さまと共にあることを実感し得るのです。           

法華経

即ち是れ道場 菩提樹

「当に知るべし 是の処は即ち是れ道場なり」一心にみ仏を思い、身口意に唱題する 即ちそこが法華経の道場