日本橋「於満稲荷神社」~永寿院「万両塚」~お万の方ゆかりの地 お万の方ゆかりの地 於満稲荷神社 お万の方

お万の方ゆかりの地

八重洲通りを北へ、日本橋三丁目付近。
旧江戸城――現在の皇居の方角を向いて、於満稲荷神社はひっそりとビルの間にあります。
於満稲荷神社の「於満」とは徳川家康の側室お万の方のこと。
於満稲荷神社の目の前の通りには「養珠院通り」という道標があり、お万の方の院号が通りの名前になっています。

ある日、私は寺ネット・サンガ「坊コン」に参加するため、ここ日本橋三丁目の会場へ向かいました。
その際に、「於満稲荷神社」の存在を知ったのです。
大田区池上の永寿院にある「万両塚」は、お万の方の孫にあたる芳心院様のお墓所。寺ネット・サンガ「坊コン」にいらっしゃった永寿院の吉田尚英住職も興味を示されていました。

日本橋三丁目に、お万の方に関するどんなゆかりがあるのでしょう? 気になるところです。

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於満稲荷神社とは?

於満稲荷神社の周辺は、かつて幕府の休憩所があったと伝わります。
当時、養珠院様(お万の方)御一行が神仏寄進のために、この日本橋付近に物資調達にいらっしゃったそう。
養珠院様の信心深さ、そのお人柄は今も昔も人々を魅了していたのでしょう。この日本橋界隈の商人たちが、養珠院様が商業発展に貢献されたとして、この於満稲荷神社を建立しました。

以来約350年間、関東大震災にも耐え、「商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社」として現在も祀られています。平成十七年中央区は、この地に於満稲荷神社があることから、通りの名を「養珠院通り」にしたそうです。


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江戸時代の人々の心を感じる

江戸の商人たちがお万の方に親しみを抱き、於満稲荷神社を建立。さらに平成になった現代も、通りの名を「養珠院」にするなど、その親しみの心は今も引き継がれています。
江戸時代から引き継がれてきたお万の方への親しみの心が、こんなところに残っていたのですね。賑やかな繁華街の中で、少しホッとするスポットです。

写真左の道標「養珠院通り」を目印に、於満稲荷神社を探すとわかりやすいです。
ビルの間に挟まって隠れるようにあるので、見つけた時にちょっとうれしい気持ちがするかもしれません。


於満稲荷神社について

於満稲荷神社 お万の方

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