洗足池の不思議 「洗足池」は「千束池」? 洗足池 千束

「洗足池」は「千束池」?


洗足池周辺は、「北千束」「南千束」などと呼ばれるのに、洗足池はなぜ「洗足」と表記するのでしょう。
洗足池に行くたびに、いつも疑問に思っていたのです。今回、洗足池を散歩しながら、洗足池の不思議について考えてみました。

洗足池は、武蔵野台地の端の湧水をせきとめて作った池。かつては「千束郷の大池」と呼ばれていました。
日蓮聖人が身延山より池上への向かう途中、弘安5年(1282)9月8日、この池で松の枝に袈裟を打ち掛けて手足を洗われたことから「千束」が「洗足」と表記されるようになったと伝わります。
しかし日蓮聖人が手足を洗ったという話は、後世作られたものではないかと疑問もあり、この伝承が「洗足」の由来なのか、「洗足」の名に後付けして伝承が作られたのか、今もはっきりしていません。
歌川広重『名所江戸百景』には「千束池」との表記があり、近年まで「千束池」と表記されていたことがわかります。
ガイドブックでは「日蓮聖人が手足を洗ったことから洗足池」と説明されることが多いようです。


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日蓮聖人「袈裟掛け松」


歌川広重の『名所江戸百景』の中に描かれている「千束池袈裟掛松」。広い池のほとりに、少し傾き加減に描かれている松は、愛嬌さえ感じられます。
その下絵となった歌川広重の『絵本江戸土産』を見てみますと、こんな言葉が綴られています。

「むかし、この池に大蛇/すみて人を害して/よって七面大明/神を祀る/日蓮上人腰/掛の松と/稱ふるあり/池の廣土/東西三丁/南北一丁あまり/されど/むかしハ/猶大ありしとぞ」

洗足池のほとりに御松庵(ごしょうあん)妙福寺があります。
日蓮聖人が身延から池上へ向かう道中に、守護してきた七面天女が水中から出現し、それを祀った小堂がお寺の始まりだと伝えられています。その時に袈裟を掛けたと伝わる「袈裟掛けの松」を護る「護松堂」が建立され、護(御)松庵といわれるようになりました。
昭和2年に関東大震災で焼失した浅草の妙福寺と御松庵が合併し寺号は妙福寺となりましたが、そのいわれを知る人たちは、今でも御松庵と呼んで親しんでいます。

歌川広重の『絵本江戸土産』の中に「日蓮聖人腰掛の松」という言葉が見えますが、どうやら「袈裟掛けの松」は「腰掛けの松」と混同されていたようです。考えてみますと、「松に腰掛ける」というのは不自然なので、「袈裟掛け」が本当のところではないでしょうか。
また天女の羽衣伝説は有名ですが、天女が衣を掛けた松という伝説が、日蓮聖人が袈裟を掛けた松と混同された可能性もあるかもしれません。
現在の御松庵には、三代目とされる「御袈裟懸松」が祀られています。


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現在の「洗足池」を歩きながら


東急池上線「洗足池」駅を降りますと、道路の向かいにボート乗り場が見え、休日にはたくさんの人々がスワンボートに乗って楽しんでいます。
私が訪れた日は天気が良く、紅葉が非常に映えましたので、スケッチをする人の姿が多く見られました。

毎年7月16日、洗足池では燈籠流しが行われ、その幻想的な光景は夏の風物詩として人気があります。
洗足池に訪れたら、池畔にある「勝海舟夫妻墓所」にぜひお参りしてください。洗足(千束)の地を愛したことで有名な勝海舟夫妻は、この地に「洗足軒」という別邸を建てました。仲良く並んだ夫婦の小さなお墓は、微笑ましい気分にさせてくれます。私が訪ねた時には、ススキが手向けられていました。

多くの伝説に彩られている洗足池
景観を楽しんでぼんやり散歩するのが私の常でしたが、池の中から天女が出てきたり、松に日蓮聖人が袈裟を掛けたり、そんなことを想像しながら歩いていると、いつの間にか時間が経っていたことに驚きます。
歴史の不思議を感じながら湖畔を散歩するのも良いものですね。


洗足池の不思議

洗足池 千束

洗足池の不思議「洗足池」は「千束池」?