結婚式に呼ばれた日~私の言いわけ ホテルのチャペル 結婚式 坊さん

ホテルのチャペル

6月といえば、ジューン・ブライドという言葉もあるように、結婚式にはいい月だそうです。

幸いなことに、私には僧侶以外にも友人が結構いて、時々結婚式の招待状をいただきます。
そんな時、不思議なことに友人が新郎の場合は、おおよそ披露宴からの招待状をいただくんですが、新婦が(あるいは新夫婦ともに)友人だと、だいたい結婚式から呼ばれるんです。もちろんお二人にとってはとても神聖な式典である上、友人としてハレの舞台を一緒に祝って欲しいという気持ちはとても有り難いことですし、こちらもあらゆる用事を振り払ってお祝いしたいと思うのですが、その結婚式というのが高い確率でちょっと悩むことになるんです。

と言うのも、お寺で行う仏式や神前の結婚式なら大きな問題はないんですが、そういう招待状にはだいたい「○○ホテルのチャペルで結婚式を挙げることに・・・」と書かれてあるんですよ。つまりこの一文は私にとって、あなたはお坊さんですけど、結婚式では一緒に二人の永久(とわ)の幸せをキリスト教の神さまに祈ってほしいということにもなるわけでして、この一点で私はいつも思い悩むわけです。

大げさに言えば「宗教上の問題」ってことです。少なくとも僧侶でない方々にとっては「当日はホテルのチャペルね」というくらいの話なのかも知れませんが、こちらにとっては、何より仏さまの智慧や宗祖の教えを日常に生かすことの大事を一人でも多くのみなさんにお伝えし、いかに実際の行動でお役に立つかというのが、僧侶がこの世に存在するまさに生命線だと思っているわけです。ですからできる、できないにかかわらず、信仰を土台にできるだけそのようにと心掛けている身としては、そうそう簡単にわかりましたというわけにもいかないんですよ。

それでも、今日の佳き日に何より大切なのはお二人の幸せだからとか、街中ではさほど信仰とは関係なくクリスマスやバレンタインデー、恐らく結婚式もそうだろうからとか、それでもお葬式は仏式だろうしとか、この友人だって自分を坊さんだからと思って相談をしてきたこともあったしとか、当日は坊さんの服を着ていくわけじゃないからとか・・・、そんなふうに心の中で適当な折り合いをつけながら、スケジュールに問題がなかったので、まあ、これも経験と思い、数年前の6月に1回だけ式に出たんですけどね。
もちろん、そもそもお前がそういう式に出ること自体間違いだと言われれば、返す言葉はありません。

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合わせる顔がない

それで式に出席しますと、牧師さんの進行のもと、キリスト教の結婚式自体はとてもロマンティックで華麗でおしゃれで素敵なものだったに違いないんですが、式中に聖歌隊の歌に合わせ、多くの場合イエス・キリストをたたえる讃美歌312番「いつくしみ深き」友なるイエスは~♪ って歌うことになるんです。しかも歌の結びに「アーメン」なんて言っちゃったりして。

それはさておき、せめて讃美歌は歌わないという手もあるにはあるんですが、式の出席者というのはあくまで見学者や傍観者ではないわけで、祈るところはちゃんと祈らなきゃならないわけです。それに将来万が一「私があの時まじめに歌わなかったばっかりに・・・」なんてことになったらって考えると、また新郎新婦やご家族の緊張しながらも真剣で、時折嬉しそうにする顔を見ていると、式に出てしまった以上、やっぱり私も歌ったほうがいいよなぁ、信仰は無くても神さまに失礼なことはしないほうがいいし、ってことにしたんです。
でもいくらお祝いだからとは言え、本音を言えば「仏さまに合わせる顔がない」というのはこのことですよ。

というわけで、その日私は式中のうれしい感動やお祝いができた悦び、あるいは宴でのおいしいごちそうと引き替えに、帰り道で「やっぱりマズイよなぁ~」と自己嫌悪におちいったわけです。以来、チャペルでの結婚式の場合は、披露宴からの出席にさせていただくようにしています。

ここまでの結論(?)を申し上げると、お坊さんを結婚祝いに呼ぶ時、式典がキリスト教などの他宗教の様式でおやりになる場合は、お祝いはしますのでぜひ百歩譲って披露宴からお招き下さるようお願いいたします。

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言いわけを少々

その日、お祝いごとだけに、友人の結婚式への出席を失敗とは思いたくない私は、試しにそういう経験をしてみたと思うことで、「自己嫌悪」に対処したわけです。

さて、それでも私は日蓮宗の僧侶ですので、依経(えきょう=よりどころとする経典)は『法華経』ということになります。その法華経の十九番目のお経「法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九」には

若(も)し俗間(ぞっけん)の経書(きょうしょ)、治世(ちせい)の語言(ごごん)、資生(ししょう)の業(ごう)等(とう)を説(と)かんも、皆(みな)正法(しょうぼう)に順(じゅん)ぜん

という言葉があります。

たとえ世間における倫理や道徳を説いた書物や、社会を治める言葉から経済にいたるまでが語られても、それらの全ては仏さまの教えに調和していく。
簡単に言えば、仏教徒である私たちのやることなすことは、実は全部仏さまの教えに順(したが)っていくものであると言う意味です。
つまり仏教から見れば、たとえキリスト教であろうと、それが古今東西有名無名を問わず、どんな格言であろうとも、人々が大事にしている意義というのは、全部仏さまの智慧に通じているということです。

そんなことで、その時の結婚式では新夫婦(ひとさま)の幸せを祈ったってことで・・・。
と、ささやかな言いわけをしてみました。

結びにお寺での儀式と言えば、たしかにお葬式やご法事が多いんですが、池上本門寺のような大きなお寺のみならず、ご近所のお寺でも結婚式を執り行っているところがあります。式の中では三三九度や指輪の交換もありますし、ご宝前に向かって「誓いの詞(ことば)」を述べ、またお寺でしか行わない「数珠の授与」なんてのもあります。これからご結婚をお考えの方は、ぜひお知り合いのご住職にご相談されてはいかがでしょうか。
※写真は結婚式・誓いの詞(池上本門寺)

仏さまに合わせる顔がない

結婚式 坊さん

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