仏像を観ること(3) 仏さまの特徴 仏像 祈り

仏さまの特徴

仏さまには人間にはない身体的特徴があると伝えられています。主な特徴を三十二相、細かい点を含めると八十種好(しゅごう)と呼ばれ、これらは如来像でも表現されています。いくつか紹介しますと、

・手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)…指の間が水かきのようになっている
・金色相(こんじきそう)…身体じゅうが金色に輝いている
・味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)…何を食べてもおいしい
・梵声相(ぼんじょうそう)…梵天のような大きく美しい声が遠くまで聞こえる
・頂髻相(ちょうけいそう)…頭のてっぺんが盛り上がって、髪を結って丸めたようになっている。
・白毫相(びゃくごうそう)…眉間にある右巻きの巻き毛から光を放つ
 
などいろいろありますが、例えば手足指縵網相はもれなく人々を救う、頂髻相は人々を救う智慧がたくさんつまっていることを象徴しており、実はたくさんの身体的特徴を通して仏さま自体を表現しているわけです。

また日蓮聖人は、仏像について目には見えない仏さまの「声と心」に着目し、『木絵二像開眼之事(もくえにぞうかいげんのこと)』というご遺文の中で、

「どの仏の像や絵も姿が見て取れるとはいえ、声を発しないので仏とは言いがたい。しかし仏の像の前に経典を置けば、声はなくても教えがあるので条件はそろうはずである。また心がなければ仏ではないと言えなくもないが、仏の心は教えを説いた声にあらわれ、それが文字となっているのだから、経文とは仏の声であり心であると言えるではないか。ゆえに法華経を読まれる人は、経文を単なる文字と思ってはならない。経文を像の前に置けば、仏の像や絵ですら生身の仏と何ら変わらないものとなるのである」

とおっしゃっています。
つまり像と経典をいっしょに置くことで声はもとより、仏さまのお心まで仏像に満たされ、仏さまが、今、ここにいらっしゃると言っても過言ではないのだとお示しになっているわけです。

日蓮聖人のこういう教えに触れたら、是非お寺に行って仏さまに会いに行きましょう。もちろんご自宅のお仏壇の仏像も見る目が変わることでしょう。
他にも博物館や美術館にも仏像が陳列されています。こういった仏像は一般的に仏教美術の品々として鑑賞するものとなりがちですが、いろいろな像を拝見して知識を広げるにはいい機会かも知れません。
念のため、美術品として鑑賞する仏像と信仰の対象として礼拝する仏像との違いは、そこに花や灯明、お香とまではいかなくても、たとえ花一輪でもお供えしてあるか、つまり祈りの対象として安置されているかどうかで判断すればよいかと思います。
しかしいくら博物館の展示物とは言え、どれも多くの人びとの祈りが捧げられてきたものばかりです。この点は注意しておきましょう。

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角度で変わる仏さまの表情

博物館と言えば、これは以前、私が上野の東京国立博物館で気づいたことです。胸の高さほどの陳列ケースに入っていた小さな仏像を観た時、

仏像を上から見下ろす…怖い顔
仏像を正面から見る…端正な顔立ち
仏像を低い位置から見る…寂しげな顔

と見えたんです。人をさげすんだり、こびへつらったりする態度を良しとしないのは、仏教ではあらゆる命の価値の平等を説いているからなのかも知れません。
また同じ仏像で、穏やかで柔和なお顔も拝見できました。それは拝むのにいい角度、つまりお寺で仏像を拝む時の角度です。仏像を作る人のことを仏師といいます。仏師は仏像を拝む私たちの心のさまを、時に戒め、時に落ち着かせようと仏像をお作りになっているのだろうと感じたのは考えすぎでしょうか。

さて、柔和なお顔を拝見できるのは拝む角度と言いましたが、拝むにはまず仏さまを敬う心や信仰心が必要です。私は日常の暮らしの中で、「分かっちゃいるけどやめられない」と言わんばかりに、ついつい自分勝手、好き勝手に振る舞ってしまう私に歯止めをかけてくれるのも信仰のおかげではないかと思っています。

法華経の中でお釈迦さまは、仏の命は永遠なのだから、救いの手も時空を超えるものと示されました。自我偈には、その救いの手段を

我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法~私はいつもみんながどんな行いをしているかを知り、それに応じた手助けをしようとさまざまな教えを説くのである。

と説かれています。この経文を、仏像を観ることに当てはめてみましょう。
まず仏さまのお心をかたどった仏像を素直な気持ちで観る。次に像を観ている私から、仏像に見つめられている私に気持ちを切り替えます。そして自分の普段の振る舞いを思い起こし、何か感じることがあればそれを受け止めて暮らしに生かしていく。さらにたくさんの教えが必要なら、像で象徴されている仏さまや宗祖が説かれた教えや生きざまについて学んでおくと、拝んだその時の私に必要な教えがいただけるかも知れません。

※今回の釈迦如来像(筆者蔵)の写真は、上から、正面から、拝むのにいい角度で載せてみました。なんとなく表情が変わっていくような気がしています。

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仏像に心をひかれるわけ

先ほどの経文の通り、仏さまはいつでもその人に応じた教えを説くとおっしゃっています。しかしそれだけではありません。その根底にあるものは、同じく自我偈の最後に、

毎自作是念 以我令衆生 得入無上道 速成就仏身~時々刻々、のべつ私はどのようにして人々に仏の教えを得させ、覚りに導こうかと考えている。

経文を読むと、仏さまはいつも私たちの生きざまを見守りながら、私たちの人格の完成や幸福を祈って下さっているのだということが分かります。
お釈迦さまの像でよく見かける印相(いんぞう=手の形)の中に、右手に施無畏印(せむいいん)と左手に与願印(よがんいん)のセットがあります。施無畏印は、もう畏(おそ)れることはないよと励まし、与願印は願いに応じて安心の種を与えるという仏さまの意志をあらわしたものです。
このように仏像とは、仏さまから祈られ励まされている「私」を実感させてくれるもの。これが、私たちが仏像に心をひかれる理由ではないでしょうか。

最後に仏像への祈り方ですが、仏さまは「私」を含めたみんなの幸福を祈っておられるのだから、世の中には色んな人がいるけれども、仏さまにならって「私」もみんなの幸福を祈るというのが、何よりの祈り方となります。

たくさんの人々に祈られ、お忙しい仏さまです。「せっかくお寺に来たんだから、ありったけの願い事をかけておけば、一つくらいは・・・」なんて思わないで、まずはぼーっと仏像を眺めてみてはいかがでしょう。ぼーっとなるということは、毎日何かと慌ただしいご自身の心が、少しは穏やかになっているということです。それだけでも仏像を観る効果があると思いませんか。そして心穏やかになれば、像を通していろいろ得るものがあることでしょう。

皆さんがさらに仏像に親しむきっかけになれば幸いです。(了)

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