仏事雑感~法灯継承入寺式と師匠のこと 師匠から教えをいただくこと 師匠 法灯

師匠から教えをいただくこと

法灯継承入寺式(ほうとうけいしょうにゅうじしき)」と聞いて、それがすぐわかる方はそんなにいないかも知れません。

 お寺にとってもそうそうある行事ではありませんが、簡単に言うと、新しい住職の就任式ということです。
法灯」というのは、苦しみや悲しみの多い世の中を闇にたとえ、仏さまの教え(法)を、それを照らす灯(ともしび)にたとえた仏教用語です。
 お寺を継ぐというのは、役割や責任や施設の管理のみならず、第一に歴代のご住職が守ってきた大事な教えを前住職から受け継ぐということを意味します。それで法灯継承というわけです。
 「入寺」は読んでのとおり、新しい住職としてお寺に入るということです。
 
 先週、島根県にある私の師匠のお寺で、法灯継承入寺式が行われました。60年間余りこのお寺の住職をつとめた今年85歳になる師匠が、私の兄弟子である長男に住職を譲り、院首(いんじゅ)となりました。院首というのは、簡単に言うとご隠居という立場になるということですが、僧侶というのは、僧侶である以上生涯現役が義務づけられていますので、住職としての責任からは離れたものの、檀信徒の皆さんに仏さまや宗祖の教えを説いたり、仏事のみならずいろいろなご相談に乗ったり、ということについては今まで通りと言うことになります。

師匠は、地元のみならず日蓮宗の中でも重要な役職に就いてきました。手前味噌な表現ですが、檀信徒やご縁の僧侶のみなさんにもずいぶん頼りにされてきました。しかも20代そこそこで、私の祖父にあたる前々住職が遷化(せんげ・僧侶が亡くなること)されたことにともない、急きょ30世住職となり、この日まで立派につとめあげてきました。
師匠は亡父の兄、つまり私の叔父です。私は高校までお寺ではない家庭で育ちました。父の遺言で僧侶になることを決めた時、すぐ師匠になることを快諾してくれ、また少しでも早くお寺で生まれ育った人たちに追いつけるようにと、私を総本山で修行ができるように手配してくれました。そのおかげで今の私があるわけです。
それで私は出家してすぐ総本山身延山で修行させていただきました。その後は東京と千葉で僧侶としての活動をさせていただいておりますので、そうそう島根のお寺には帰れません。「給仕第一(きゅうじだいいち)」というのが、私が修行僧として習った一番大きな教えでしたが、お寺の年中行事にもほとんど帰れず、まさに「不肖の末弟」というのが私に対するピッタリな表現でしょう。

師匠のお小言

そんなわけでたまに島根のお寺に帰ると、今でも師匠からしょっちゅうお小言をいただきます。今回も師匠の奥さんが「帰ってくるのを楽しみにしてたよ」と言うので、一瞬背筋がゾッとしましたが、今回は入寺式という大義名分のもとで帰ってきたわけですから、そんなにいろいろ言われることもないだろうなんて思っていました。

お小言と言えば、まず思い出されるのが20年くらい前でしょうか、師匠のお寺へは新幹線や特急列車を乗り継ぐと東京から7時間以上かかりますので、時間節約のため飛行機に乗って帰りましたら(僧侶というのは出家者ですから、帰るところは師匠の寺ということになります)、早速「ぜいたくはするな」と怒られました。当時は新幹線を乗り継ぐより飛行機のほうがずっとお金がかかったのは確かですが、師匠は「お前も布施で生かしてもらってる身なんだから、お布施をしてくださる人たちの気持ちを無駄にしてはいかん」と、お寺に着いた早々お小言どころか“厳しいお言葉“をいただいたわけです。

その時は、「次に来る時は黙っていよう」なんて思っていましたが、ふと思い出すのは、池上本門寺山主の酒井日慈(さかい にちじ)猊下(げいか・高僧に用いる敬称)が宗派を超えた師匠と仰ぐ、臨済宗の松原泰道(まつばら たいどう)師のお寺での逸話です。松原師は102歳で遷化される2週間前まで矍鑠(かくしゃく)とお説法をされていた、まさに生涯現役を全うされた禅僧です。
ある日の食卓、家人がこしらえた食事は「カツカレー」だったそうです。松原師にいつまでも元気で活躍していただきたいと願って、好物のカレーにカツをのせて出したわけです。ところが松原師はそれを見るなり「ぜいたくだ、どちらかにしなさい」と家人を厳しく戒めたというのです。
松原師も私の師匠も、ひとさまからはとても親切でしっかりしていらっしゃると評判の人物ですが、私はその話を松原師の法灯を受け継いだお孫さんにあたる現住職から聞き、「自分も同じようなことを言われたことがあるなあ」と師匠の言葉を思い起こしながら、布施で生きる身の心構えというのを、その時あらためて思い返すことができました。

私は入寺式の前日の朝に、準備のため帰ったんですが、すでに師匠はお手伝いの檀信徒の陣頭指揮をとっていました。私の顔を見るなり、お堂に貼った幕をきれいに修正しろと言うので取りかかりましたが、10分後、「まだできんのか」と早速お小言を頂戴しました。私は結局最初から幕を張り直し、事なきを得ました。

入寺式を終えて

当日午前10時執行(しぎょう・仏事を行うこと)の入寺式は、朝7時くらいからお手伝いで集まり始めた檀信徒のみなさんや僧侶方のおかげで滞りなく進められ、兄弟子は無事に第31世法灯を継ぎました。これからは住職として師匠以上に大いに活躍していただきたいと思います。私もできるお手伝いはしていこうと思います。
その一方で、師匠の法衣(ほうえ・お坊さんの服)をたたみながら、それでも一抹の淋しさがあるのではないかと思い、師匠に「住職が風邪を引いて寝込んだら、師匠の出番ですよ」と声をかけたんです。そうしましたら、ニコッと笑って「その時はお前を呼ぶから心配ないわ」と言われました。まだ弟子は弟子と思ってくれているようです。

翌日、お昼頃までに檀信徒の皆さんと入寺式の後片付けをおおかた済ませると、まだ寺の中が慌ただしかったこともあり、師匠のいいつけで昼食を私が作ることになりました。新住職の奥さんがうどんにしましょうと言うので、私が普段食べ慣れた東京の駅そば風のつゆをつくり、うどんをゆで、寺族(じぞく・お寺の家族)と私で6人分作りました。「お口にあいますか?」と尋ねましたら、うんとうなづいていたので割とよくできたんでしょう。

食後、新住職と残りの後片付けを済ませると、私が出発するまでの間、師匠と少し話をしました。その中で師匠は、坊さんの話だからと言って、いつでも説法すればいいというわけではないと言いました。というのは、「例えば挨拶を頼まれた時でも、坊さんはその中ですぐ説法をしたがる。お祝いの席なら、おめでとうという思いだけを話せばいい。どんな話でも坊さんには仏さまの教えが土台にあるんだから、そういう時は説法でなくていいんだ」というわけです。そして「そのあたりの区別をしっかりしないと、檀信徒は話を聞いてくれなくなるぞ」と教えていただきました。結婚式の挨拶に政治家が来ると、なぜか選挙や党勢の話になってしまうようなものでしょうか。

師匠によれば、前日の式中に挨拶をしてくださった僧侶の方々は、そのあたりのことをよくわかっておられたということです。そういう方を見習って、お前もちゃんとやれということでしょう。院首になってもちゃんと教えてくれます。
僧侶の社会では、「40、50代は、まだ小僧」なんて言われます。確かにまだまだ教えていただくことが多いと実感します。お小言と心配が少しでも減らせるよう、まだまだ努力しなければと思いつつ寺を後にしました。

そういえば・・・
東京に仕事を残してあったため、帰りは飛行機を使いました。早くからチケットを申し込んであったので、新幹線を使うより1000円安く買えたからです。念のため、師匠にそういう言いわけをしましたら、ニコッと笑っていました。

今回もありがとうございました。

師匠の教え

師匠 法灯

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