仏国土を考える~立正安国論と立教開宗 身土不二とは 仏国土 安国論

身土不二とは

前回、神社でひいたおみくじのお言葉に、〈草木が天の恵みの雨露を得て栄える〉という一節があったと書きました。
http://www.eijuin.jp/News/view/16/432

この文の解説は前回の小欄に譲りますが、おみくじの祖として伝えられる日本天台宗の元三大師(がんざんだいし)が確立したとされる教えに「草木成仏(そうもくじょうぶつ)」というのがあります。
日本天台宗は、そもそも法華経の教えをもとに伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)によって開かれた宗派で、日蓮聖人をはじめ親鸞聖人や道元禅師など、鎌倉時代の宗祖はみんな比叡山で仏教を学び、人々に寄り添いながら宗派を立てました。

お釈迦さまは、あらゆる経典の中で「一切衆生(いっさいしゅじょう)」と言い、あらゆる命あるものを救いの対象にしています。
草木成仏とは、あなたが成仏するとそこは仏さまの浄土、つまり国土が成仏して仏国土(ぶっこくど)となるのだから、そこに住むあらゆる命もみんな仏と縁を持つことになり、動物のみならず草木でさえ成仏していくのだという教えを言います。

一般的に仏教では、信を土台に何度も生まれ変わりながら教えの実践を通して修行し、それを完成させた時に成仏がかなうという立場をとりますから、これは豊かな自然に恵まれている日本の仏教が独自に生み出した仏教観のようです。
たとえて言えば、やさしい人がそこにいるだけで場の雰囲気が和むというようなものでしょうか。そう思うと、それもそうだなと思えます。

こういったことを身土不二(しんどふに)と言い、仏さまのお身体とその浄土、仏国土は一体なのだということを示す仏教用語です。
ちなみに日蓮聖人は、あらゆる命あるものは仏さまのはからいで生かされているのだということ、そして晩年を過ごされた身延の山は日々法華経が実践されていることから、身延の山はお釈迦さまが法華経を説かれたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)と相違ない価値があるところだと説かれています。

また、ここからヒントを得て、同じ漢字を使い[しんどふじ]と読ませる場合があります。
近年イタリアから発信されたスローフードのすすめ(食料の地産地消~住んでいる土地で生産されたものは、その土地に住む人が率先して消費していこう)という運動は世界中で有名です。
これは、まず自分たちが食べるものという観点から鮮度や品質、生産場所についての意識の向上や、その土地の中で行われる経済活動の活性化に加え、よそに輸送するエネルギーや余剰な生産の削減にもつながり、健康と土地の潤いと自然環境を同時に守ろうというものです。

もっとも冷凍冷蔵や輸送の技術が向上する以前はあらゆる地域でそうしてきたわけです。
例えば日本では、スローフードよりずっと昔から「四里四方に病なし」という言葉があるように、住民の身体と恵みを与えてくれる土地を別々に考えないというのがもっとも自然なことで健康にもつながるという、農水産業や食のありかたが一般的でした。私たちのご先祖は、ごく日常的にスローフードをやっていたわけですね。これは近年[しんどふじ]という読み方でスローガンとなっています。
読み方で意味が変わってきますので、話題にする時はお気を付け下さい。

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『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』上進

さて日蓮聖人は、人々の心と国土や社会を結びつけて教えを広めていました。

そのころ、政治の首都鎌倉は大地震や干ばつなどの大きな天災や疫病により、まさに国家危機を迎えており、目抜き通りですら牛馬の死体や人骨で満ちあふれていたと、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』が伝えています。

こういった現状を目の当たりにした日蓮聖人は、著作『立正安国論』の冒頭で吾妻鏡同様に鎌倉の様子とりあげています。それはこの安国論の述作の動機となったのが、正嘉元年(1257)8月23日に起こった鎌倉大地震であったからで、このことが『安国論奥書(あんこくろんおくがき)』に記されています。

立正安国とは、正法(しょうぼう)を立てて、国を安んずるということです。お釈迦さまの教えの中で、最も尊く、最も末法という時代に生きる人々、私たちの救いとなり、広まるべき国に、人々を導くのにふさわしい教えを正法と言います。日蓮聖人はこの正法を法華経であると結論づけ、法華経の教えに立脚し、人々が安心して暮らせる仏国土の再構築を図ろうとしたのです。

かくして日蓮聖人は、文応元年(1260)7月16日、これら天変の異常さに加えさらにこれから起こるであろう他国の襲来や内乱の恐れなど、日本は国家衰退の一途をたどっている旨を記した安国論を宿屋入道(やどや・にゅうどう)に託して前執権北条時頼(ほうじょう・ときより)に上進しました。

「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗(じつじょう)の一善に帰せよ。しかればすなわち三界(さんがい)は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。~あなたは早く信仰の矛先を法華経に説かれたお釈迦さまの願いに向け直すべきです。そうすればこの社会が安穏な仏の浄土になっていきますよ。そういう仏の国がどうして滅びるでしょうか」
と、まず北条時頼を諫(いさ)めたのです。

「実乗の一善」というのは『法華経』の教えとお釈迦さまの慈悲の心、「三界」とは私たちの暮らしの現場、社会という意味です。
この世は娑婆世界(しゃばせかい)といい、お釈迦さまの仏国土です。ですから、日本仏教では日本の神々も仏さまの願いにかなう守護につとめていると考えられています。

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人々の心と仏国土

日蓮聖人はこの安国論の一節で、私たちの信仰のありかた次第でこの世、この国がよくも悪くもなるのだとおっしゃっています。
つまり、ただでさえ末法という人々(私たち)の心がすさんでいる時代、この世を名実ともに本来の平和な仏国土にしていくのか、それとも諸天善神すら見捨てるもっとひどい世の中にしていくのかは、お釈迦さまが滅後の人々のためにお心そのままに説かれた法華経への信仰にかかっているのだという警鐘です。

そこで日蓮聖人は、法華経を弘めるという仏さまからいただいた使命のもと身の危険を顧みず、当時幕府の最高権力者であった北条時頼にこの『立正安国論』を上進して国が滅んでしまわないよう、まず政治のトップから「実乗の一善」に帰すことをすすめたのです。
しかしこの一ヶ月半後に鎌倉の草庵が襲撃され、伊豆に流罪され、赦(ゆる)されて生まれ故郷に戻っても、地頭の一団から刀を向けられ弟子や信者が命を落としました。その時日蓮聖人自らも額に刀傷を負うなど命を奪われかけました。日蓮聖人の生涯は、「大難は四ヶ度、小難は数知れず(開目抄)」というとおり受難の連続となったのです。

ところで4月28日は立教開宗、日蓮宗の創立記念日です。
日蓮聖人は単に理想ではなく、常に社会の現実にどう対処していくか、とにかくまずこの国をなんとかしたいという思いから菩薩行という仏教の実践に注がれ、この世を本来の安穏な仏国土に戻していく一番の「心の土台」として、人々に法華経への信仰を提唱しました。
今私たちが、あるいは誰でも法華経に説かれたお釈迦さまのお心に触れ、生き方の指針を得ることができるのは、建長5年のこの日の朝、日蓮聖人が出家得度した清澄寺にて日の出に向かいお題目を唱えられたことに始まります。

立教開宗の日は宗祖日蓮聖人に感謝を申し上げ、その教えを今に受け継いでこられた先師、先人の方々に思いを至らせ、誰にも住みやすい仏国土を目指し自らの信仰や振る舞いをただす一日にいたしましょう。

*写真は上から「身延山ご草庵跡」、「立正安国論(中山法華経寺蔵・国宝)」、「日蓮聖人像(清澄寺)」

仏国土と立正安国論について

仏国土 安国論

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