法事のこころ 儀式としての法事 法事 受け継ぐ

儀式としての法事

法事の時、こんなことを聞かれることがあります。

「なんで法事をするんですか?」

つまり、法事には三回忌だの七回忌だの四十九日の埋骨法要だのいろいろありますが、そういう場で法事をやって下さいと言ってこられた方から、「ところでなんで法事をやるの?」 と聞かれるわけです。
善良な読者の皆さんは「変な話ですね」とおっしゃるかもしれませんが、こういうやりとりが起こるそもそもの原因は、現代僧侶の活動が布教や社会活動よりも儀式に偏る傾向があるからではないかと言うべきです。

ということで、他人事ではなく自戒の意味も込めて、私が思う法事のこころについてお話ししたいと思います。

法事という儀式の一番の主旨は生前のご恩に感謝し、故人の向こう岸でのお幸せ、すなわちご冥福を仏さまに祈ることです。人が亡くなると生前の姿を見ることも、お身体に触れることも、会話をすることもできません。しかもお世話になったからとはいえ、生前のように直接ご本人に何かをして差し上げることもかないません。
そこで私たち仏教徒は、その場に仏さまを始め宗祖や神さまをお招きして故人の冥福をお願い申し上げようと法事という儀式を行います。
どうして儀式にするのかと言えば、お寺などの祈りにふさわしい場所で、厳粛な雰囲気の中、僧侶と一緒に仏さまに一心に祈りをささげるためです。仏さまをお招きしてお願いするわけですから、余計なことは無礼なこと。おしゃべりや晩ご飯のおかずを考えるなどは厳禁です。またお子さまをお連れすれば、法事はメリハリのついた暮らしの実践を教えるという点で役立つのではないかと思います。

ちなみに法事やお墓参りの必需品であるお香には線香や焼香が使われますが、お香のかおりで邪気を払い、仏さまにいていただくのにふさわしい場にしたり、お香の煙に乗って仏さまがおいでになったりお帰りになったり、あるいは祈りは煙に乗って届けられると伝えられています。

受け継いで努力を重ねる大事

儀式に参列する心得はこんなところですが、実は法事というのは儀式が終わればすべておしまいというわけではありません。ここから先は、お坊さんではなく参列された皆さんの役割です。

皆さんはお墓参りの時や困った時に故人を思い浮かべると、心の中で何かしらのことを語りかけてもらったり、落ち着きや勇気を取り戻したりといった経験はありませんか?
ならば故人はこの世にいない人と言うより、心の中でいつでも会える人と言えるはずです。ですから亡くなってもなお家族、親戚、友人であり、見守ってくれている人となるわけです。

そこで、儀式のあとの余韻(よいん)のまま、見守ってくれている人のことをたくさん思い出してみましょう。
何のためかと言えば、それは故人の生きた証を日常の暮らしに役立てるためです。少しずつお話ししていきます。

まず私たちの身体や命があるのは、両親の縁があったからということに間違いはないんですが、私たちが受け継いでいるものはそれだけではありません。

今を生きている私たちは、とても豊かな暮らしをしています。それは私たちが先祖代々、先人たちの思いや知恵を受け継いでいるからにほかなりません。先人たちがその当時の、そして未来を担う人たちの暮らしを豊かなものにしていこうとしてくれたおかげです。もしそうでなければ、人類は恐らく今も原始人のような暮らしをしていることでしょう。そういう先人たちが遺してくれたものに私たちが工夫を重ねて、今の豊かな暮らしがあるわけです。

仏教もお釈迦さまから宗祖や先師、そして今の僧侶へと教えやその実践が受け継がれています。仏教の儀式も、そういう流れの中で先師たちが祈りをささげるために作り上げたもので、時代に合わせて少しずつ変化しながらも今に伝えられています。

法事とは

そう考えていくと、受け継ぐべきを受け継ぎ、自分の努力を重ねていくという生き方の大事が見えてきます。

法事でしたら、それが何回忌であっても参列の皆さんと話しながら、自分はどんなことを受け継いでいるだろうかと、一つでも二つでも故人が遺したいろいろなことを思い出してみましょう。
どんなことを教えてくれたのか、どんなふうに笑っていたのか、どんなふうに励ましてくれたのか、怒ってくれたのか、私のために涙を流してくれたのか…。
それらは全部故人の「生きた証(あかし)」です。

そして皆さんは毎日一生懸命生きておられると思いますが、日々の暮らしに思い出された「証」を、今日から明日から活用していくよう努めることです。
普段の暮らしでも私たちは、自分のアイデアが活用されればうれしいものです。それは故人も同じことです。
生きた証を皆さんが活用して自らも努力し、大きなことであろうと、ほんのささいなことであろうと一つでもうまくいけば、それはどんな人生であっても故人にとって生きた甲斐があったとなるでしょうし、それが生前のご恩に報いる方法と言えるのではないでしょうか。

このように法事とは、儀式を通して冥福を祈るとともに、故人の生きた証を通して皆さんが未来に向けて毎日をもっと明るく、楽しく、元気よく、また仲良く過ごせるような、なにより向こう岸から「なんだかんだ言いながら、がんばってるじゃない」と言っていただけるような暮らしへの心構えを定期的に新たにしていく場として、今に受け継がれているものです。

ぜひ法事の時には、こんなことを考えながら臨んでいただければと思います。

と、これだけ言えば「なんでやるの?」と聞かれることはないだろうと思っていますが、ご意見があればおっしゃって下さい。

法事について

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