いま精一杯生きる 功徳自ずから生ず 乃至能く一念信解を生ぜば 得る所の功徳は限量有ること無からん 法華経 一念信解

乃至能く一念信解を生ぜば 得る所の功徳は限量有ること無からん

法華経「分別功徳品第十七」の言葉です。
先の如来寿量品第十六で仏様の寿命が永遠であることが証明され、これを受けて本章では久遠本仏の永遠性に気付き、そして信じ、実践していく人にはあらゆる功徳が与えられることを御教示されます。

この一節では「一念信解」というみ教えが説き示されます。
私達の一生は70年、80年といいわれていますが、その中で昨日が今日になり今日が明日にと移り変わります。
ただ刻々と時は過ぎて行きます。その中の一瞬々々に人生の全てのものが詰まっている、このことを信じきることを「一念」といいます。
また「信解」とは信心と理解をあわせた言葉ですが、何を信じ、何を理解するかというと、自分の人生に於ける「一念」についてです。
つまり信心がそのまま深い理解となることから「一念信解」というのです。

このことを日蓮聖人は「仏道に入る根本は信ずる心であり、我々の振る舞いであり、行いである」と御教示くださいました。
今の一時、一念に全身全霊をかたむけて生きる、このことも又「一念信解」のこころです。
御功徳は自ら生じるとのみ教えであります。

法華経の言葉

法華経 一念信解

いま精一杯生きる 功徳自ずから生ず乃至能く一念信解を生ぜば 得る所の功徳は限量有ること無からん