疑いなき心に感謝のいずみ湧き、姿・形に表れる 若聞是経 而不毀誉 起随喜心 当知已為深信解相  随喜 信解

若聞是経 而不毀誉 起随喜心 当知已為深信解相 

若し是の経を聞いて毀誉(きし)せずして、随喜の心を起さん。
当(まさ)に知るべし、已(すで)に深信解(じんしんげ)の相となづく

法華経「分別功徳品第十七」の一節です。

前回は、今この時に精一杯生きようと自らを信じ、行動するところに功徳があらわれるとのご教示でした。
今回は前回の言葉を受け、より深く信じて行動し、理解を深めていくことにより、こころに起こる喜び、つまり法悦についての一節です。 

法華経の教えを聞いて、決してそしることなく、素直に心の底からありがたいと感ずる気持ちを起こす者は、おのずと「深い信解の相」に至ります。
その人は仏のみ心を自らの身と心に現わしているのです。
随喜の心」とは、み仏のいのちの永遠性を信じる心にあらわれる境地です。

「信」とはまかせるということ、仏様に自分の身と心をまかせきってしまうということです。
それが「信心」ということで、そこに「ありがたい」という気持ちが湧き、自分の「我」がなくなることが「随喜」です。
これは「一念信解」と同じことなのです。

自分という「我」をなくすということは、「私という物差し」を無くし、ただ疑いの心なく有り難いという喜びしかない、そのことが何より大事であると説かれているのです。 

法華経の言葉

随喜 信解

疑いなき心に感謝のいずみ湧き、姿・形に表れる若聞是経 而不毀誉 起随喜心 当知已為深信解相