但行礼拝は 私たちの行 爾の時の常不軽菩薩は豈の異人ならんや、則ち我が身是れなり 不軽菩薩 歴劫修行

爾の時の常不軽菩薩は豈の異人ならんや、則ち我が身是れなり

法華経「常不軽菩薩品第二十」の一節です。

ある時は仏さまに仕え、またある時は仏さまの代わりにみ教えを弘めていく。
不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)さまは、自らの行いを省みながらまだまだ修行が足りないと、どこまでもみ仏のお心に近づけるように精進し、ついにそれまで積まれた功徳が成就して、最後には仏さまの境地に至ったのです。
そうしてお釈迦様はこの常不軽という菩薩が、自らの前世の姿であることをここで打ち明けられたのです。

この常不軽菩薩さまの行いは「歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)」といって、永い年月を繰り返し修行をした結果、凡夫であった者がみ仏の境界に到達し得ることを示されています。
 
今の時、法華経こそが「成仏の直道」であり、この「成仏の直道」という中の「直」の字は「すぐに」とか「ただちに」と読むことができますが、今すぐ簡単に成仏できることではありません。
苦心努力の結果の覚りであることを忘れてはならないことです。

まっすぐな一本道、その道を貫き通す決意と努力、私たちにとってそれは法華経でありお題目を受け持つことです。
信仰心の原点は常不軽菩薩さまご修行のお姿に象徴されているのではないでしょうか。
ほんのちょっとの心掛けと相手のための行い、それが常不軽菩薩さまの行なのです。
私たちも常にこのようにありたいものです。          

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不軽菩薩 歴劫修行

但行礼拝は 私たちの行爾の時の常不軽菩薩は豈の異人ならんや、則ち我が身是れなり