人生の残り時間 「やりたかったこと」と 「やり残していること」 やり残したこと

「やりたかったこと」と 「やり残していること」

この先あと何年生きられるかを考えるような年齢になると、今この時が愛おしく思えてくるのではないでしょうか。
エンディングノートも「人生の残り時間」を意識しながら、過去を振り返り、この先できることを整理しながら、人生の締め括りを目指すものです。

まずは、昔の夢や気持ちを思い出すところから始めると、これからの生き方を考えるヒントが見つかるかもしれません。
子供の頃なりたかった職業、たとえばプロ野球選手・歌手・俳優・宇宙飛行士等々…。
実現できなかったとしても、何らかの形で多少なりとも関わることができたでしょうか? 
夢とは全く別の方向に進んだとしても、充実した人生を送れたでしょうか? 
それとも後悔がありますか? 
やり残したことがあったとしても、これから学びや趣味の中で取り戻せるかもしれません。

「つゆをたっぷりつけて蕎麦を食べたかった」と言った江戸っ子のように、本音をいえずに一生我慢していることはありませんか? 
他人にとっては些細なことでも、あなたにとっては大事なことがあるものです。
心にフタをしたまま一生を終えてもよいものか、がんばり続け、自分を偽り続け、人生の締め括りが苦しいものにならないように、ゆっくり振り返ってみてはいかがでしょうか。

命は限りある事なり

時間は誰にも平等で均一なものだと理解していても、早く感じたり、遅く感じたりするものです。まして、病で余命宣告をされた方にとって残された時間はかけがえのないものです。

日蓮聖人は『法華証明抄』というご遺文のなかで、
「命はかぎりある事なり 少しもおどろく事なかれ」
と述べられています。

このお手紙を書かれた八ヶ月後に日蓮聖人はご入滅されました。
病が重くなり自身の死期を悟っていたころのお手紙です。
命がけで法難を乗り越え、法華経への信仰が固まっていたからこそ言えたお言葉です。
自らの命が尽きても、仏とともに生きていくという確信があるからこそ、少しも驚くことも恐れることもないと述べられたのでしょう。

明日死ぬかもしれない、命には限りがあると頭ではわかっていても、健康なときにはどこか他人ごとのように思っているのが私たちです。
命が尽きた後にも仏とともにあると信じ切れるような、信仰生活を送っているか否か、それが肝要です。

「明日は明日の風が吹く」

しかし、「今を大切に」「今日できることは今日のうちに」と、自分を追い込み、心を病んでしまっては元も子もありません。

「今日できないことは無理をしない」
「明日できることは明日やればいい」
考える心のゆとりも大切です。

それに明日になれば新たに「やりたいこと」が見るかるかもしれません。
迷いながら優先順位をつけて片づけていくのも人生の楽しみです。

今生でやり残したものがあると感じても、「明日は明日の風が吹く」と同じように、「来世は来世の風が吹く」と思い描くことができれば、残り時間の過ごし方も変わってくるのではないでしょうか。

そうはいっても、明日突然、病に倒れたらどうなるかも考えずにはいられません。 
元気なうちにできることとして
「これだけは伝えておきたいと思う事を書き残す」
「こまめに身辺整理をする」等々。

そして体が動かなくなったときには、
「話をすることができるのなら、周囲に感謝の言葉を伝えよう」
「話すこともできなくなったら、世話をしてくれる人に笑顔で接しよう」等々、
さまざまな「明日の風」を想像しておくと、
「命はかぎりある事なり すこしもおどろく事なかれ」
というお言葉が、いざという時に心にしみてくるのだろうと思います。

まんだらエンディングノート

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