二十四節気と七十二候 処暑 二十四節気 処暑 七十二候 処暑

二十四節気 処暑

二十四節気  処暑  (七月中)

8月23日~9月6日頃
陽気とどまりて、初めて退(しりぞ)き やまんとすれば也 (こよみ便覧)

暑さも峠を越えてくる頃で、朝夕には少しづつ秋の気配を感じるようになります。
まだまだ残暑が厳しい都心の暑さですが、夕方には秋を告げるような風も吹くようになりました。

公園を歩くと、木々や草の葉影には蝉の抜け殻をよく発見します。こんなにたくさんの蝉たちが羽化して、相手を探して鳴くのですから自然とはすごいものです。いよいよツクツクボウシの声も聞かれるようになり、夏の終わりを実感します。
お盆休みも終わり、楽しかった帰省や旅行から、現実の生活に戻らなければなりません。こども達にとっての楽しい夏休みも1週間ちょっとで終わります。慌てて宿題を片付けたり工作作品を作ってみたり慌ただしい夏の終わりです。
さて、夕刻になると、日がだんだんと短くなってきているのがわかるようになってきました。夕暮れの時間がやや早くなってきたことによっても、秋が来ているのを感じます。国立天文台のホームページを見ると、8月23日の東京の日出は5:06、日の入りは18:21でした。

宵の明星
夕暮れになった西の空低くには宵の明星(金星)が輝いています。マイナス4等級の金星はひときわ輝いてきれいです。晴れていれば、9月8日の日没後には金星、スピカ(おとめ座)、細い三日月が並んで見られます。



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七十二候 処暑初候 綿柎開

七十二候 第四十候 綿柎開く

8月23日~27日頃

「めんぷひらく」と読ませます。略本歴では「綿のはなしべひらく」とも。
「柎」(うてな)は台のことを現わし、愕の部分をいいます。この時期、綿の花が咲き終わり、黄緑色に結実した愕の部分がはじけて、中から白いふわふわした繊維状のものが出てきます。この白いフワフワがコットンボールと言われるものです。綿花と書かれる場合が多いので、綿の花だと思っていたのですが、種子の表皮細胞が伸びたものなのだそう。綿はアオイ科に属しているので、花はムクゲや芙蓉に似た可愛らしい花でした。




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七十二候 処暑次候 天地始粛

七十二候 四十一候 天地始めて粛す

8月28日~9月1日頃

「てんちはじめてしゅくす」と読ませます。 
天地の暑さもようやく落ち着いてくる頃。天地の気が粛然とし、万物が改まる頃とされています。秋の虫が鳴きはじめ、トンボも多く見られるようになります。

トンボは古くはアキツ、アキヅともいわれました。「古事記」では、本州のことを指して「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)」、「日本書紀」では「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)」と記されています。記紀共に秋津とトンボの関係をにおわせた文がありますから、トンボが多く飛んでいる、稲穂が豊かに実る国というイメージを感じますね。


竹の春
「竹の春」は秋の季語です。春に芽を出した筍は、ぐんぐん成長し、夏から秋にかけて青々とした葉を繁らせた若竹になります。やがて春にはまた枯れて落葉しますから、竹は春と秋が逆になります。
秋に竹を伐採することを「竹伐る」といい、こちらも秋の季語。

「木六竹八塀十郎」は、木は六月に、竹は八月に伐採するのが良く、土塀を塗るのは十月が最適だという諺。もちろんこの六・八・十月はすべて旧暦です。秋に竹を切ると腐りにくく、虫も出ないなどの利点が多いのだそう。清々しい青々とした竹林は目にも爽やかで、笹の葉の葉擦れも涼しさを感じさせ、夏の終わりの秋の気配を醸し出しています。


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七十二候 処暑末候 禾乃登

七十二候 四十二候 禾乃登る

9月2日~6日頃

「くわすなわちみのる」、略本歴では「こくものすなわちみのる」と読ませます。
「禾」はイネ科の作物の総称です。稲が実りはじめる頃。丁度この時期、日本には台風が頻繁にやってきます。少し前には暑さによる干ばつを心配し、さらには台風と心配事は尽きません。
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ・・・」宮沢賢治の詩「アメニモマケズ」が浮かんできます。自然に翻弄されるのが農業の辛さなのですね。
今年は西日本の干ばつと東北の長雨のニュースが報じられました。どうにか上手く調節されればいいのでしょうが・・・細長い日本ならではの気候の違いです。

八朔(はっさく)
旧暦の葉月(八月)朔日の略称。「田の実の節句」ともいい、この頃に稲が穂を実らすことから、豊作に感謝し早稲を神に捧げる行事が各地で行われていました。台風の到来の時期と重なることから、この時期に吹く強風を八朔と呼ぶ地域もあるようです。
台風に注意しなければならないこの時期、「八朔」は「二百十日」「二百二十日」と共に農家の三大厄日とされていました。折角育てた稲穂が台風の被害に遭わない様、風鎮めの為の「風祭り」「八朔祭」を催すところもあり、多くは旧暦に合わせて9月1日頃に行うようです。
徳川家康が江戸城に入城したのも八朔の日でした。このことから、後に諸大名が白帷子で江戸城に上がる、正月に次ぐ大切な日となっていきました。


二百十日、二百二十日
雑節の一つ。台風の到来に注意要する日。春分から210日目、220日目にあたることから来ています。台風の強風に煽られ、折角実った稲が根こそぎ倒れてしまうこともありますから、農家にとっては油断がならないのが台風です。
新暦では二百十日は9月1日(閏年は8月31日になる)前後で一定ですが、旧暦(太陽太陰暦)では、閏月が入るなどにより「二百十日」は不定期だった為、必要になった暦注だと言われているようです。(ウィキペディア参照)



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