暦のはなし~旧暦から新暦への改暦 旧暦手帳 旧暦 改暦

旧暦手帳

今年、2014年のお正月は新月で始まりました。これはなかなかあることではありません。旧暦は新月である朔日を1日としますから、偶然グレゴリオ暦の1日と重なったわけです。ただし、新暦1月1日は、旧暦ではまだ年明け前の師走の朔日なのですが。

新月で始まった2014年は、冬至が霜月朔日の新月に当たる「朔旦冬至(さくたんとうじ)」の年でもあります。(朔旦冬至についてはこちら  http://www.eijuin.jp/News/view/10/395  )
19年に一度の朔旦冬至は太陽太陰暦の大きな区切りとなる「章(しょう)」の始まりです。中国では19年を「章」として一区切りにしていました。これはメトン周期の考え方と同じもので、一年を365日とした場合、19太陽年は235朔望月にほぼ等しくなる、ということから来ています。その章の始まりを「章首」と呼び、19年という暦の大きな単位としているのです。2014年は冬至がその章首に当たることになりますから、旧暦では大変意味のある冬至なのです。

ところで、正確に言えば旧暦というのは現在には存在しません。明治の改暦まで使われていた天保暦を続けて計算しているだけですので「これが正式な旧暦です」と決められているものはないのです。ですから、一口に旧暦と言っても旧暦の計算方法にはいくつかありますし、旧暦ではなく和暦と呼ぶ場合も。

最近は、旧暦を懐かしむ人や歳時記を大切にする方、句を詠まれる方など、旧暦愛好者は増えてきているようです。私もその一人で、毎年新しい旧暦手帳を見るのを楽しみにしています。
手帳売場には、グレゴリオ暦に歳時記が書かれている手帳や、月齢が載ってる月の手帳など、グレゴリオ暦と旧暦が併用された手帳も多く販売されています。太陽だけで知る暦に月の暦が加わるだけで、月の恩恵を感じることが出来ますし、いつものカレンダーでは気付きにくい二十四節気や七十二候などに触れることで、日々の自然観察が楽しくなること請け合いです。皆さんも旧暦手帳を手元に置いてはいかがでしょうか。


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旧暦からグレゴリオ暦への改暦

明治政府は1872年の霜月九日に、太陽暦への改暦を宣言。
突然「来月の明治五年の師走三日を、1873年1月1日にしますよ」と言われたわけです。それまで旧暦で行われていた祭事や行事が、急に否応なく変更されていくというのは、国民にとっては大変な違和感だったことでしょう。現在では、当然のようにグレゴリオ暦に慣れきって生活をしている私達ですが「じゃあ来月から旧暦でね」なんて言われたらもう、何をどうしてよいのかわからなくなってしまうはずです。

江戸の鎖国時代が幕を閉じ、世界を見始めた日本。文明開化として、早々に西洋文化を取り入れようとしたこの時代には、先進大国との交渉事も増えていきます。その矢先に困ったことは旧暦の存在でした。旧歴をグレゴリオ暦に換算したり、十二辰刻を24時間法に換算するのは、結構面倒なことだったに違いありません。そうなると、世界に通用する暦と時刻法を整えることは政治上急務だったのだと納得できます。その一方で、政府の財政難を解消する手立ての一つとして改暦を急いだとの説もあります。

太陽太陰歴である旧暦は、19年に7回の閏月を入れて季節を調整するのですが、これは太陽暦と太陰暦の誤差を埋める為。太陰暦では約29.5日をひと月としますので、29.5×12=354で、一年は354日となり、太陽暦の365日とは11日のずれが生じるのです。

閏月のある年は一年が13か月になります。明治六年はまさしくその13か月になる年でした。実は、政府は明治四年から官吏の年俸を年俸制から月給制に変えていました。時の参議、大隈重信は明治六年に閏月が入ることで、一か月分多くお給料を支払わなければならないことに気が付いたといいます。その為、大急ぎで明治五年の改暦をしたのだとか。

明治五年の九月頃までは改暦などは計画されていなかったそうですから、民衆は大いに驚いただろうことは想像がつきます。千年近く旧暦になじんで暮らしてきた人々にとって、突然と言ってもいいほどの改暦は、ガラガラと音をたてて変わっていく時代の変化を実感したことでしょう。

とはいうものの、旧暦や和時計などを通して築かれた日本の独自性が消えていくことを寂しく思う一方で、新暦導入を念願にしていた人々も江戸時代にはいたようです。オランダ人と関係が深かった長崎や蘭学者らは、既にオランダ暦(グレゴリオ暦)の正月を祝っていたともいわれています。明治の改暦は、世界に目を向けていた人たちにとっては念願の改暦だったのです。




旧暦の改暦

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