AIとの対話
余命十ヶ月を告げられた高齢女性とAIとの対話に関するテレビ番組を見ました。
その女性は「苦しさや辛さをわかってくれる誰かに話したいけれど、相手に負担や迷惑をかけたくない。AIは行き場のない感情をぶつけても、不安なしぐさを見せることなく優しい言葉を返してくれるので、素直に相談できる」と話していました。
否定せず、はぐらかしたり困惑したりもせず、瞬時に適切な受け答えをするAIは、優れた道具だと思います。
番組で女性は「AIには本心を話せる。人より優しいと感じる」と語っていました。
一方、AIの専門家は「AIに感情はなく、人が寄り添ってもらっていると感じているだけだ」と説明します。
私も傾聴の研修で、「相手のすべてを理解することはできないが、『わかってくれた』と感じてもらえる聴き方を目指すように」と教わりました。
相手の感情に流されず、冷静に思いを受け止めるのは人には難しいことです。その点で、感情を持たないAIが優位に立つのも頷けます。
一人で答えを出せるか
高齢の単身者が増えるなか、誰にも相談できない悩みを抱える人も多いでしょう。
思い悩んだとき、一人で考えをまとめようとしても堂々巡りになり、夜が明けてしまうことがあります。
そんなときは、頭に浮かんだことを文字にして目に見える形で整理すると、悩みの正体が見えてくるものです。
こうした整理を得意とするのがAIです。
一人では考えを整えられないほど混乱しているとき、AIを道具として手がかりを得るのも悪くないかもしれません。
ただし、そこにいるのは、膨大な情報から適切な言葉を選んで受け答えをする機械であることを忘れてはいけません。
感情も心も持たないAIに頼りきり、その言葉に従って日々を送るようになれば、それは自分の人生とは言えなくなります。
AIが考えを先回りして答えを示すようになると、自ら考える力を失いかねません。
最終的に悩みを解決するのは自分自身です。
誰かに助けてもらったとしても、自分で考え、自分が納得できる答えを導き出すしかないのです。
縁覚
仏さまの教えに頼らず、自ら道を悟った聖者を「縁覚」といいます。
縁覚は一人で修行に励み、静けさを好み、花が散り葉が落ちる姿から森羅万象の理を悟るとされます。
誰にも相談せず、ましてAIも使わずに煩悩を断ち切るのは容易ではありません。
しかし、縁覚は他者を教え導かないため、仏に成れないといわれていました。
自分一人が悟ったつもりでも、世の中との関わりを断った悟りでは人々を救うことができないからです。
法華経には、すべてのいのちが互いに生かし生かされて成り立っていると説かれています。
負担や迷惑をかけたくないと思っても、生きている以上、誰かに何らかの負担や迷惑をかけているものです。
また、私たちは誰かに迷惑や負担をかけながらも、別の誰かに恩を返しながら生きているはずです。
「恩」に囲まれて生きていることを自覚し、感謝を忘れずにいれば、仏に近づけるのではないかと思います。
恩を知り、恩に報いる「知恩報恩」です。
一人で考え抜き、真理を見極める力を持つ縁覚も、知恩報恩を自覚していれば仏に成れるということでしょう。
親しい相手だからこそ相談できないこともあります。
公共機関や医療機関など、内容に応じて安心して相談できる場所もあります。
世の中のすべての人が誰かの相談相手となり、互いに助け合えるセーフティーネットが整った社会こそ、仏の国であると思います。
「誰に相談するか」「誰かの相談相手になれるか」。
それを意識するところから、仏道修行がはじまるのかもしれません。
相談相手


